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パリダカ


今年(2008年)で30周年を迎える「パリダカールラリー」(このラリー出発地点が毎年変わるために現在は「ダカールラリー」というのが正式名称)が中止になった。通過国の政情不安がその理由だそうだ。残念だけれども仕方がない。純粋にレースに集中できない状態で強行開催しても、誰も「冒険」を楽しむことなどできないだろうから。

それにしてもこのラリー、よくぞ30年続いたものだ。今回のように中止にまでは至らなかったにせよ、創始者ティエリー・サビーヌが競技中のヘリの事故で死亡したり、競技車両が地雷を踏んだり、武装集団に襲われたり。巨大な砂丘以外にもこのラリーが乗り越えなくてはならなかったものは多かったような気がする。
不慮の事故があればもちろんのこと、大きな広告を打って賑々しくはじめたもののスポンサーがつかなくなったら「ハイさようなら」というイベントなんて自分の周りには沢山ある。それらに比べると、パリダカは「冒険に出るんだ」という参加者たちのチャレンジングスピリッツと「このラリーを続けて行くのだ」という主催者の強い意志に支えられて来たように思える。来年再びサハラを走る競技車両をTVで眼にすることを切に願うばかりだ。


ここでちょっと見方を変えてみよう。もし、パリダカがなかったら、いったいどれだけの人がダカールという町の名を知っていただろうか。セネガルの首都の知名度向上に、このラリーが果たした役目は限りなく大きいはずだ。たとえそれがどこの国の町かわからなくても、ヌアクショット、バマコ、ワガドゥグー、バンジュールという隣国の首都よりもダカールの知名度は遥かに高いと思うのだがどうだろうか?
かくいう自分も、ダカールの名前をこのラリーで知った。僕は類まれなる「砂丘好き」だが、これもパリダカの影響が大きいと思う。考えてみれば、僕は十代のころからTVの前で「冒険」への憧れとしてこのラリーを見ていた。砂漠の向こうにあるゴール、すなわちダカールの海岸線を(勝手に)夢見ながら。
「もし、パリダカがなかったら、僕はサハラの持つ美しさと荘厳さに惹かれただろうか?モーリタニアやセネガルという国を訪れただろうか?アフリカの友人たちに出会えていただろうか?」そう考えると例えミーハー的な好みといえどもバカにはできないものだ。その後どのように自分の人生に関って来るかわからないのだから。


さて、前述のように今年のパリダカは幻と消えてしまったので自分の記憶をたどるとしよう。僕は同じような時期に同じような場所にいるにもかかわらず、実際にこのラリーの集団と遭遇したのはたった一度だけだ。1998年スペインのグラナダでのこと。考えてみたらちょうど10年前、20回記念大会だった。
リエゾン(移動区間)を終えた参加車は、なんと交通渋滞にひっかかり夜9時過ぎにグラナダの町に入ってきた。その後、11時過ぎまで前夜祭のイベントがあり、翌朝早くに出発だから、よほどタフでないとラリードライバーは務まらない。
翌朝、スタートは5時からということで、僕は忠実な犬のごとく朝4時に起きて広場へ出かけた。モト(バイク)もオート(車)も出発前の整備に余念が無い。この日は、郊外のコースでSS(計測区間)を走ったのち一路スペインの南岸アルメリアへ。その後フェリーでアルジェリアに渡り、いよいよ本格的なラリーが始まる。


スタートを待つブルーノ・サビー。頭の中にあるのは今日のSSか、連なる砂の峰か、それともダカールの浜辺か?


2008年1月記



今日の一枚
”スタートを待つB・サビー” スペイン・グラナダ 1998年


オテル・ソボバデ その2




fumikatz osada photographie