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オテル・ソボバデ その2


ソボバデはフランス人オーナーの経営する静かな岬のホテル。アンティークな客室は居心地が良く、まるでガウディ建築のようなモザイクタイルの外壁が大変美しい。


ひと休みした僕は海水パンツに着替えて崖下の浜辺に向かった。砂浜には先客がいた。グラマーなビキニ姿のフランス人女性。「コンニチハ」なんとカタコトの日本語を話すではないか。小さくガッツポーズ。ひとしきり波と戯れ、お喋りをしてから彼女と別れた。「長期滞在しているそうだから今後もお近づきになれる機会はあるな。絶対」と何の根拠もない確信。
砂浜を歩く。砂の上には野良犬がたくさん横たわっている。これだけたくさんの野犬がいると怖い。しかし、なぜかどの犬も生気を失ったようにぐったりしている。暑いからだろうか。それとも犬も寝転ぶほどの楽園というわけか。

海を見渡すと沖合いには漁師たちのピローグ(小舟)が見える。一方、浜にはその舟を見守る家族たち。素朴なセネガルの海辺の風景に魅かれて僕は1キロほど離れた隣村まで来てしまった。目ざとく僕の姿を見つけた子供たちがいつものように近寄ってくる「写真撮って、写真撮って」「何か頂戴、何か頂戴」ちょっとかわいそうだがこれに付き合っているとフィルムが何百本あっても足りない。口で「カシャッ」と擬音を発する秘技「ニセシャッター」でなんとか切り抜けた。

崖を登り村の中に入る。細い路地が続く。まず、突然の侵入者に奇異の眼が向けられる。その後「写真撮るな」と言われ、撮ると大抵「金をくれ」といわれた。「撮れ」と言われたり「撮るな」と言われたりなんだか自分でもよくわからなくなってきた。無理もない。見慣れない外国人がカメラぶら下げて写真を撮っているのだから、平和な村にとってはちょっとした事件だ。売店の前でコーラ飲んでいる時でさえ遠巻きにギャラリーがこちらを見ている。子供たちは「おい、中国人がコーラ飲んでるよ」という感じでクスクス笑ってる。「そりゃ、中国人だってコーラ飲みます」セネガルに来て2週間、そろそろこういう状況にも慣れてきた。


それでも、排他的な漁村の空気が少しばかり窮屈になった僕はソボバデに引き返すことにした。道すがら地引網を引っ張る人たちに出会った。大人も子供もみんなで力を合わせて網を引く。何が上がるか興味があったので最後まで見届けることにした。綺麗な色の魚、エビ類となかなかの大漁。漁師のひとりが大きな魚のしっぽを掴んで僕の顔の前に突き出して「買え」と言った。しかし、ナマの魚を買えといわれても困ってしまう。


部屋に戻ると暫く眠ってしまった。やがて僕は太鼓の音で目を覚ました。ホテルを出て丘の上から眺めると夕暮れの砂浜でたくさんの若者たちが太鼓に合わせて踊っていた。「村の有志による踊りだよ。毎日、夕暮れにやってるんだ」隣に寄ってきた少年が教えてくれた。「ダカールのような大都市と違う。泥棒もいない。騒音もない。ここはパラダイスさ」と少年が言った。海に沈む夕日。浜辺で踊る若者。やがて夜空に散りばめられる無数の星。確かに彼の言うことは正しいのかもしれない。

少年の名前はマイス。近所のイタリアンレストラン「ミモザ」で働いているらしい。崖の上の道は夕涼みの散歩をする人たちがたくさん通る。マイスはそのひとりひとりに僕を紹介してくれた。やがて、頭にオレンジのターバンを巻いた男が現れる。ポータブルラジオの電池を節約するために音量を最小にし、耳をスピーカーにくっつけて聴いている。男の名はアルファ。マイスの友人で同じレストランで働いているという。
「よう、マイス。昨日のお客さんはどうした?」「今朝ダカールに戻ったよ」ふたりは昨日、ダカール郊外のラクローズ(ローズ湖)までホテルのお客さんを連れてパリ-ダカール・ラリーのゴールを見に行ったそうだ。日本人が初優勝だって。そういえば『マスオカ』の名前が新聞に載っていた。


楽園のくつろいだ空気に浸っていると、僕はなんだか空腹を覚えた。「地元の店で何か食べたいな。地引網であんなに魚があがっているんだから焼き魚でも食べさせてくれる店があるはずだ」というわけで、マイスとアルファに尋ねる。「ほんなものネェよ。ここはパラダイスだから.・・・」という答え。納得のいくようないかないような。「肉の屋台だったらほら、そこにあるよ」マイスが指差す。なるほど、20mぐらい先にちょうど「水戸黄門」で「うっかり八兵衛」がだんご食べてそうなわら葺の店が建っている。「水戸黄門」の茶店と決定的に違うのは客がひとりもいないというところだ。でも、ここはパラダイスだ。他の客など必要ない。なによりも「空腹と」いう事実がこの場の最高権力者なのだ。

マイスのウォロフ語通訳で店のオヤジさんと会話する。「肉はあるかい?」「あいにく肉は切らっしゃっているんだ」「じゃあ、何があるの?」「フォアだけだね」レバーかぁ。内臓系は苦手だが食べられないことはない。さっそくオヤジさんに注文した。何のレバーかは聞かない方がいいかなと判断した。羊・・・ヤギの線も捨て切れないか。「あいよ!フォア焼きね。食べて行くの?店の奥に席があるから座っててね」

マイスとはそこで別れることにした。ついでに僕はお茶に招待された。「俺は『レストランミモザ』の前に住んでいるからさ。これ食べて、今晩9時ごろにお茶しに来なよ」そうか、マイスはレストランで働いているから店の前に家があるんだな。もしかしたら住み込みかもな。などと思いつつ「オーケー!それじゃ9時に」と返事をした。


案内された店の奥は真っ暗で今はもう波の音しか聞こえない。やがてオヤジさんがろうそくと水を持ってやってきた。「停電で電気がつかなくてさ。水飲んでて、いま料理ができるから」おそらくそんな意味のことを言った。

ほどなく新聞紙の上に乗ったフォア焼きが出てきた。料理の盛り付けとしてはかなり危険な感じだが、塩味がきいていて美味い。波の音を聞きながら、ろうそくの灯りの下で一心不乱にフォアを食べるというのもパラダイスの醍醐味かもしれない。
しかし、僕はまだ知らなかった。「楽園」の前にはいとも簡単に「失」の字がついてしまうこと・・・そして、今食べているフォアこそその入り口だということに。

2009年9月記



今日の一枚
”ポートレイト ” セネガル・トゥバブ・ディアラオ 2002年


福島




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