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重慶大廈経由メインランド行き その2


招待所の入り口からずらっと並んで腰掛けているアフリカ人たち。どうやら、彼らは中国本土に入るためのビザの発給を待っているらしい。翌日、ロビーを通りかかると前日の客はすっかりいなくなって、すべて新顔に入れ替わっていた。この招待所はつまり、隣りのビザ発給事務所の「待合室」というわけか。もしかしたら、入り口から並ぶロビーの椅子はそのまま申請順になっているのかもしれない。彼らは夜香港に着き、翌朝ビザを申請して、5時間後には中国本土へと旅立って行く。ビジネスパートナーを探しに行くのだろうか?それとも、仕事を探しに行くのだろうか?中国のどこへ?デリケートな問題らしく詳しく話が聞けなかったのが残念だ。僕がセネガルで出会った人たちは「日本に働きに行きたいけどお金がない」とこぼしていた。しかし、僕は香港でたくさんのセネガル人に会った。無理をしてでも中国に行く。おそらく、時代は日本ではなく中国なのだろう。

「ナガデフ!(ごきげんいかがですか?)」ロビーを通りかかる度に挨拶される。ウォロフ族のウォロフ語だ。「マンギフレック!(元気です)」僕が返す。まさか香港でウォロフ語を話すことになるとは夢にも思っていなかった。先日、あるセネガル人客に僕のセネガル滞在の話をしたら、毎日、違った新顔に挨拶されるようになった。しかもこのセネガル多数派部族の言葉で。おそらく、人は入れ替わっても僕について「話が通って」いるのだろう。

3日目の夕方、宿に戻ったら客がいなくなっていた。がらんとした「待合室」の椅子に座って、フィリピン人従業員のおばちゃんがご飯にバナナを乗せた夕食を食べていた。「あれ?今日はお客さんいないの?」と聞いたら「今日はアフリカからの便がないのよ。あんたバナナ食べるかい?」とフォークに刺したバナナを僕に差し出した。


僕は、いつものように長蛇の列のエレベーターをパスして階段を上っていた。重慶大廈の1、2階のテナント部分からこの階段に入ってくる感じは、デパートの売り場から従業員通路に入るのによく似ている。そう、「晴」の場から一気に「気」に入る感じだ。ここがホテルや普通のマンションに暮らすのと一番異なる部分かも知れない。踊り場の窓から隣のホテルの部屋が見えた。客室係はルームメイクに余念がない。

学生のバックパッカーではないから旅に底値を求めるつもりは毛頭ない。「シェラトン」や「ペニンシュラ」でなければ味わえない香港もあるだろうし、「重慶大廈」でなければ覗けない香港の姿もあるはずだ。あくまでも目的にあわせて選べば良い。いずれにせよ、長すぎると思った重慶大廈の11日間は瞬く間に過ぎ去ってしまった。

重慶大廈は香港という町の縮図のようだ。この街は国際都市として何人も拒まず受け入れてきた。その器の大きさにおいては東京なんて足元にも及ばない。でも、僕は一抹の不安を覚えた。それは、香港という容器に注がれる水がいつか溢れ出す日が来るのではないか?というものだ。しかし、そんな僕の心配をよそにこの町は今日も淀むことなく流れ続けている。
重慶大廈を出て行ったアフリカの人たちは今ごろ、あの広い中国大陸のどこで何をしているのだろうか?僕はふとそんなことを考えていた。


2006年5月記



今日の一枚
” ホテルビュー ” 中国・香港 2006年


ティワウォン  向かいのビルの金魚たち  それは外から来た人達かもしれないよ




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