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重慶大廈経由メインランド行き その1


かつて、重慶大廈(チョンキンマンション)という名前を僕は何度耳にしたろう。学生のころ、香港はまさに見所満載のワンダーランドだった。啓徳空港、九龍城砦・・・・旅行で訪れた友人たちは、楽しそうにその体験をまだ香港を知らない僕に話したものだ。
当然、重慶大廈もその話の中でしばしば語られた。仲間内では「香港の安宿の名前」という認識だったが、正確にいうと重慶大廈は宿の名前ではない。九龍の繁華街・尖沙咀(チムシャツォイ)にある集合住宅の名前だ。手ごろな値段で泊まれる宿が建物の中に沢山点在しているとか、数基しかないエレベーターには常に順番待ちの列ができているとか、友人から聞いた重慶に関する情報は頭の中にイメージを描くにはあまりにも断片的だった。しかし、断片的な情報ほど人の好奇心を揺さぶるものだ。その後、啓徳空港も九龍城砦も次々と姿を消してゆき、気がつけば重慶大廈は「古きよき香港」の名残を残す数少ない遺産のひとつになってまった。


さて、若き日の僕はもっぱら話の聞き役だったわけだが、最近、念願かなってその重慶大廈に行ってきた。10泊11日。オールチョンキン。ただし、気分転換のために3、4日おきに招待所(ゲストハウス)だけはかえた。「百聞は一見にしかず」というが、なるほど自分の目で見ないと解らないことってたくさんあるものだ。マンションという名前から僕は純粋な住宅を想像していた。しかし、建物の入り口を入ってまず目に入ってくるのは、インド、ネパール、パキスタン系の人々が経営するテナント。1階と2階は昔の秋葉原のような家電屋、エスニックな食堂、洋品店、ミュージックショップなどが軒を連ねている。そして意外だったのは、建物の中はアフリカ系の人たちで賑わっていたことだ。「なぜ?」その理由はやがて明らかになる。

「エレベーター待ちの列」というのも話に聞いただけではあまり実感がわかなかった。通常エレベーターというのは行列ができないように設計されているものではないだろうか?しかし、重慶で暮らし始めるとその意味も容易に理解できるようになった。建物は3階から17階が5つの座(ブロック)に分かれている。そこにあるのは100近い招待所と個人宅だ。しかも、各座は廊下でつながっていない。つまり、自分の座の専用階段もしくはエレベーターを使わないと「わが家」にたどり着けない仕組みなのだ。各座の専用エレベーターは僅かに2基。(ヘタをすると1基は点検中だったりする)したがって、招待所が多く人の出入りが激しい座のエレベーターの前には長蛇の列ができるというわけだ。僕はせっかちだから、列が長いと見るとそのまま15、6階目指して階段を駆け上った。そして大抵は7階辺りで「列に並んだほうが良かった」と後悔し始めるのだった。


2番目に泊まった招待所は幸運にも比較的空いている座にあった。小さな窓からは隣のビルとの隙間しか見えなかったが、扇風機だけの質素な部屋はなぜか落ち着いた。フィリピン人の従業員も気さくな人たちばかり。さらに付け加えると、僕以外の宿泊客はすべてアフリカ人だった。いきなりここに連れて来られて「さあ、ここはどこでしょう?」と聞かれたら、おそらくだーれも 「中国」とは答えないだろう。

招待所の隣は洋品店。中国ビザの申請代行をやっているらしい。店の奥のガラス張りのブースの中で主人が忙しそうに書類をタイプしているのが見える。入り口には「中国査証発給最短五時間」と書かれた紙が貼られていた。
宿に入るとそこはロビーになっていて、入り口のところからいくつも椅子がならんでいる。その椅子にずらっとアフリカ人の客たちが座っていた。だから僕は、出入りするたびに、その前をまるでファッションショーのモデルのように通り過ぎなければならなかった。彼らはボーっとフランス語のTVニュースをながめていたかと思うと。時々思い出したように、フランス語以外の言語で二言三言仲間と言葉を交わした。


2006年5月記



今日の一枚
” 重慶族 ” 中国・香港 2006年


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