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向かいのビルの金魚たち


「ひとの生活を覗き見る」なんて言うと聞こえは悪いが、向かいの建物の窓にふと興味が湧く。それが オフィスでもアパートでも、立体的に積み重ねられた都市空間の中でチラリと垣間見れる「他人の日常」というのがちょっとだけ気になる。


香港で滞在した15階の部屋の窓からはネーザンロードという通りを挟んで反対側の雑居ビルが見えた。再開発が進む都会の一角、老朽化したビルは空き部屋も多い。それでも、明かりのついた窓からは人々の日常が見える。針灸院、法律事務所、老人が家事をしているアパートの一室・・・点在する小宇宙。


香港の部屋は僅か4日ほどの滞在だったが、長期に渡って高層階に住んでみると「窓ごしのお隣さん」というのができる。それまで都心の高層アパートで暮らしたことのなかった僕にとって、例えばニューヨークのアパートの8階というのはなかなか面白い体験ができた。

僕の窓からは小さな通りを挟んだ向かいのビルの空き部屋が見えた。やがて、その部屋は美容室になった。はさみを握った太っちょの黒人のおばさんが客の髪を櫛でといてはチョキチョキとやっていた。そして、1年もたたないうちに部屋は再び空き部屋になった。

斜め下方には若夫婦の住むアパートの書斎が見えた。夜、夫がテーブルランプをつけて本を読んでいると、いつも妻がコーヒーを入れてきた。そして妻は夫の肩に手を置き頬にキスをした。
少し遠くの窓に目をやると雑然としたオフィスが見える。書棚が建ち並び窓際には書類が山のように積まれ、その横にクラシックな扇風機が置かれていた。あれは会社の資料室だったのだろうか?僕にとっては未だに謎だ。

やがて僕は向かいのビルの住民と通りを挟んで会話をするようになった。ざわめく通りの頭上、窓と窓の会話は世間話程度だったが、僕にはこういう「窓見知り」のお隣さんが何人かいた。おそらく、お互い通りの雑踏の中に出たら認識できないであろう窓枠の中だけのお隣さん。「顔見知り」ならぬ「窓見知り」である。


大都市の中で至近距離でふれあう人ごみは嫌いだ。人間ウォッチングをするには街はあまりに雑然とし過ぎている。しかし、ビルの窓から見える他人の日常というのは押し付けがましく自分に迫ってこない。それはあたかも部屋の片隅に置いた水槽の金魚を眺めているようだ。そして、この「水槽ウォッチング」の素晴らしい点は「自分もまた水槽の中の金魚なのだ」ということを再認識させてくれるところだ。


2007年5月記



今日の一枚
” 小宇宙 ” 中国・香港 2006年


 冬の庭  南という切り札 その2




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