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半開きの扉


夕暮れ時、中国・新疆ウイグル自治区カシュガルの街外れを僕は歩いていた。住宅地の家々から夕食の仕度の匂いが漂ってくる。路地には野菜売りの三輪バイクが一台、住民たちが食材を買いに来ている。挨拶を交わしてちょっと覗いてみた。荷台の野菜はもうずいぶん残り少なくなっている。
さて、その場を離れ僕が再び道を歩いていると、さっきの野菜売りのバイクが後ろから追いついた。「乗らないか?」言葉はわからないがおそらくそういう意味だと思う。彼は助手席を指差して言った。「渡りに舟」とはまさにこれ。実をいうと僕は少々歩き疲れていたのだ。

さっそく助手席に座らせてもらった。夕暮れのシルクロードのオアシス、ポプラ並木のでこぼこ道を野菜売りの三輪バイクが走る。土煙を上げながら走る。助手席から上半身を乗り出して彼のポートレイトを撮らせてもらった。それはまるで絶壁の上で腹筋をやっているような苦しい体勢だったが、そうしないと距離が近すぎるのだ。野菜売りはハンドルを握りながら得意顔でこちらをチラチラと見た。心に少しだけ隙間を作っておくと不思議と嬉しいハプニングに出会える。


元来非常に人見知りをするたちである。だから最初はポートレイトを撮るなんて自分にはとんでもないことだと思っていた。しかし、ヘタの横好きというのはよくあることで、好きになってしまったのだからなんとかそれを克服したいと思うのも人の常。何をしたら良いか分からなかったので、藁緒もつかむ気持ちで「心理学的ポートレイト」というワークショップを受講したこともある(笑)モデルとのコミュニケーションを心理学的見地から学ぶというその授業は、ちょっとばかりスピリチュアルな匂いがした。

けれども、わずか十数回の授業でそのコツがわかるほど人の写真を撮るのは簡単ではない。結局のところ本当に役に立つ知恵というのは、その後、世界のあちこちにポンと飛んで行って実際に人々の写真を撮る中で学んだような気がする。


人とコミュニケーションを取る上で重要なことがらをひとつ挙げるとすれば、それは「自分の心の扉をわざと半開きにしておくこと」である。しかし、この半開きの加減がなかなか難しい。あまり開放的で無防備だと泥棒にあうし、反対に心の扉を完全に締め切ってしまうと安全ではあるが人は訪ねて来てくれない。すなわち、そこにコミュニケーションは生まれないということだ。

これは写真以外、つまり人生や恋愛についても同じだ。あまりにガチガチにガードを固めるよりもほんの少しだけ隙間を作っておくのが理想的。もちろん、社交的な人たちの中には僕が十数年かけて学んだことをはじめからサラリとやってのける人もいる。羨ましいかぎりである。


2009年5月記



今日の一枚
” 野菜売り ” 中国・新疆ウイグル自治区・カシュガル 2006年


 夏といえばジャズフェスだった その2




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