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サイゴンの病院で精密検査を受ける


ベトナム南部のムイネビーチに滞在中、僕は体調を崩した。動悸のようなものを時々感じたのだ。一度自分の健康について懐疑的になってしまうと些細なことでも不安になり、最後は睡眠不足になった。「これはいよいよダメかもしれない」ということでせっかくの風光明媚な浜辺を早々に切り上げ、僕はサイゴン(ホーチミン)に戻ることにしたのだった。

裏通りのゲストハウスに部屋をとり、精密検査を受けるためにセオム(バイクタクシー)で病院に通った。結局、検査の結果に異常はなし。暑さからくる肉体的な疲労と、精神的なストレスによる一時的な体調不良だろうということだった。改めて思い返すと、初めての土地でのストレスに加えて、僕は「日本に戻ってから仕事にありつけるだろうか」ということをずっと気にしていた。ああ、昔はこうではなかった。海外に出るとさらりと日本を忘れられたものだ。旅に出てまで日本のことが気になって体調を崩すとは、自分ももはやおしまいだな。僕はそんなことを考えてしまった。

診察に当たったフランス人医師は「薬を出すけど、ただの精神安定剤だよ」とカルテを書きながら話す。このまま今回の旅を続けて良いものか?という僕の質問には「そんなこと私には解らないよ、キミの体なんだから・・・」という実にそっけない答えが返ってきた。しかし、考えてみるともっともだ。診察室を出ようとしたところで「そのフランス語はどこで習ったんだい?」と後ろから声をかけられた。僕は西アフリカとフランスだと答えた。医師は口元で笑った。

ゲストハウスに戻り、もらった精神安定剤を飲んだ。その後、冷房の効いた小さな部屋のベッドで僕は泥のように眠った。「病は気から」というが一眠りした後は不思議と動悸を意識しなくなった。体調の優れなかった僕にとってこのサイゴンの路地裏にある小さなゲストハウスは実に落ち着けた。そして、路地裏のゲストハウスのさらに一番奥にある窓の無い小さな部屋は、まるで母親の胎内のように安心できた。宿の女主人は僕の体を気遣ってくれたし、住み込みの女の子たちと一緒に夕食までご馳走になってしまった。ゲストハウスだけではなく、近所の住民たちもまた実にアットホームな雰囲気で僕を包んでくれたのだった。

それにしても単純なものだ。自分の側に立ってくれたり、話を聞いてくれる友人を作るだけでかなり気が楽になる。僕の場合それはどこの国の人でもいいようだ。つまるところ、人間の営みなんて世界中どこに行っても同じだということだ。


2006年4月記



今日の一枚
” 路地裏の静寂 ” ベトナム・ホーチミン 2005年


 砂漠の端を歩いた  心象風景とスーク  オテル・ソボバデ その4 南という切り札 その1




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