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断食月のモロッコを行く


安宿の一室。まだ、日も昇らない早朝。モスクの拡声器から流れるアザーン(祈りの時間を知らせる声)を僕は夢うつつで聞いていた。モロッコのタンジェでのことだ。

モロッコは良い意味でも悪い意味でも僕にとって初めての「異国」となった。少なくとも、それまで訪れたアメリカやヨーロッパでは「異国を旅しているんだな」と実感するほどのカルチャーショックは受けたことがなかったからだ。前日、スペインのアルヘシラスから船でジブラルタルを渡った。おりしもラマダンの時期。断食明けの時間に到着したため、入国審査官の夕食が済むのを僕は船内で1時間以上も待つはめになった。
陸に上るとさっそく「タンジェの洗礼」に会う。船でモロッコに入った旅行者ならおそらく誰もが経験するであろう、しつこい客引きや怪しいガイドによる集中砲火である。食事でも、買い物でも旅行者と見るや吹っかけてくる商人たちを値切り倒し、強引な客引きを断り、停電で電気のつかない宿に戻ってくるともうクタクタで、正直、「異国情緒」を楽しむどころではなかった。

しかしその朝、モスクの拡声器から流れるアザーンの声をねむけ眼のベッドで聞いた時に、僕の中で何かが変わった。この国の流れにとっぷり浸ってみる決心がついたのかもしれない。身支度をしてカサブランカに向かう列車に乗った。カナリア諸島でアフリカ大陸から飛んでくる砂を見たときに、モロッコに行けば広大な砂漠に出会えるのだと勝手に思いこんでいた。しかし、車窓から見える風景は行けども行けども丘の斜面に広がる緑の牧草地で、イベリア半島側と大きな違いはない。

余談だが、その後、幼いころをアルジェで過ごしたという日本人大学生に「本当のサハラを見たければアルジェリアかモーリタニアですよ」と言われたことがある。その言葉は僕の頭の片隅にずっと引っかかっていて、10年後にモーリタニアを訪れるきっかけになった。僕の旅はこうやってお互いに関連付けられていることが多い。さて、サハラの話はまた別の機会に譲ることにしよう。

ロバを引っ張る子供や放牧される羊など、車窓の風景を興味深く眺める僕に対して、車内のおばさんたちはひとしきり会話をした後、静かに眠っていた。困ったのは、ラマダン中で誰も食べものを口にしないということだ。「あなたはイスラム教徒じゃないのだから、気にせずに食べてもいいのよ」とは言われたが、しんと静まり返る列車のボックスシートで断食している人たちを前に、「バリバリ」とお菓子を頬張るほどの図太い神経を僕は持ち合わせていない。

結局、お腹と背中がくっつきそうになりながら、僕は夕暮れのカザボワヤージュール駅に降り立ったのだった。


2006年3月記



今日の一枚
”断食月” モロッコ 1993年


1 酔いどれジプシーキング  アッ・サラーム・アライクム




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