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眠れる街をいくつも通り抜けて


オビエド、サンタンデール、ラ・コルーニャ・・・サッカーのチームの名前でしか聞いたことがないようなスペインの街で途中下車してみる。何日か過ごしてみてわかるのは、ショッピングモールやシネマコンプレックスで高校生のグループがアイスクリームをペロペロなめているような極めて普通の街だということだ(笑)

そんな何の変哲もない街でも立ち寄ってみようという気にさせるのはスペインの細かい長距離バス網のおかげだろう。僕がスペインにハマっていた十数年前、その移動手段はもっぱらバスだった。若さに任せて街から街へ10時間以上のバスの旅を苦も無くこなした。
「スペインのバス」と聞くと時間にルーズなものを想像するかもしれないが意外にもバスは時間通りに走った。いや、仮に発車時刻は数分おくれても到着時刻はピタリと帳尻を合わせてきたし、運転手もまたそれを生きがいとしているようなところがあった。安くて便利な交通手段だからいつも超満員。気の強いスペイン人の女の子が前の座席の背もたれを遠慮なくフルリクライニングしてきてイライラすることもあったが、それでも、夜行バスの車窓から眺める眠りにつく町々は僕の旅心をくすぐった。

バスの全権は運転手が握っていた。したがって、例えば数時間おきに休憩するバルには運転手の好みが垣間見られた。見知らぬ街のバルに入る。バスの客で店内は夜中とは思えないにぎやかさだ。僕は完全に冷え切ったトルティーリャを食べながらコーヒーを飲む。向かいのカウンターでチュロスをチョコラーテに浸して食べていたおばあさんが早々とバスに戻っていった。しかし、焦ることはない。なぜなら、向こうのテーブルでは運転手がまだ大きなハムサンドを頬張っているからだ。運転手の食事の進み具合を見ると、あと何分でバスが発車するか大体わかった。経験から生まれた知恵だ。

バスは出発して直ぐにビデオレンタル店の前で止まる。さっきまで車内に大音量で流れていた映画のビデオが無造作にデッキから抜かれると運転手はそれを持って店に入って行く。やがて、新しいビデオの袋を持って店から出てくる。ビデオテープはそのままデッキにセットされ、車内のモニターで上映された。(今考えるとあれは著作権的には大丈夫だったのだろうか?)そういった運転手たちのイニシアチブぶりは、なんとなくスペインの父親を彷彿とさせるものがあり、威厳があってカッコ良かった。


そして夜が明ける。いつものようにバスは明け方の新しい街に僕を落っことして走り去って行く。


2007年1月記



今日の一枚
” 光と影 ” スペイン・トレド 1992年


 偶然の出会い




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