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ユニット4からはじまった


丘の上に立つと眼下にバナナのプランテーションが見える。中ほどには小さな小屋がある。煙が上がっている。夕食の支度だろうか。その向こうには遊水地の池と芝生が広がる。はるか彼方に眼をやるとダカール市街のビル群が見える。風に砂が巻き上げられシャリシャリと体に当たる。それでも、昼間の灼熱地獄から開放された夕方の風は肌に心地よい。


やっとひとりの時間が持てた。思わずホッとため息をつく。今の僕にとって、ひとりになれるのはアラブ式のトイレに入っているときか、この丘の上にいるときだけ。セネガルの一般家庭のリビングルームにお世話になることにしてしまったおかげで、僕のプライベートは全く無くなってしまった。自分の部屋にいる限り絶えず誰かの相手をしなければならない。朝から晩まで。正直、これが少々辛くなってきた。それでは外に出るとどうか?というと。ダカール郊外のこの小さな町では「東洋人」なんて興味の標的である。磁石に砂鉄が吸い寄せられるように人が集まってくる。子供は遠巻きにからかい、大人にはさまざまな質問をぶつけられ、老人には家に招かれる。ただし、セネガルでは差別的な扱いを受けたことは無い。それだけは救いだった。「好意的にいじられる」 とでも言おうか。

「光栄なことではないか。ポートレイトを撮っているのに贅沢なことを言っている」って?そう言われれば確かにそうかもしれない。でもね、人間、放っておいてほしいときもあるんです(笑)広大なステップや砂漠がある一方で、アフリカの都市部の人口密度は想像以上に高かった。しかし、アフリカに来てひとりになれる場所がトイレの中だけとは、なんだか皮肉だ。

結局、ゆっくり読書をする場所も見つけられないまま、僕は夕方になるとサクサクと路地裏の砂の上を歩いてこの丘に登るのだった。そして、ぼんやり眼下の景色を眺めるのが日課になった。モスクの拡声器から流れる祈りの声を聞きながら、ひとりで過ごせるこの時間が僕にとっては至福の時だ。薄暗くなるころ腰を上げる。帰り道、辺りに住む住民宅の夕食に誘われる。夕食をご馳走になった「見知らぬ家族」にお礼を言って家路を急ぐ。部屋では今夜も「客人」たちが僕の帰りを待ちわびている。そう考えると胃袋とは別の場所に満腹感を感じた。



とまあ、当時を振り返ると僕は真剣に悩んでいたようだ。しかし、今にして思えば、あのダカールのパーセルユニット4(パーセルとは農地もしくは居住区域のことだそうだ)という地区で過ごした僕のほろ苦い経験は、セネガルを理解する上で非常に役に立った。友人とのネットワークもユニット4から始まった。今でもダカールに行くと僕はここを訪れる。懐かしい顔に出会える。懐かしいあの丘がある。


2006年8月記



今日の一枚
” 風の丘 ” セネガル・ダカール 2002年


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