<< magazine top >>










ザクロ


幼い頃、幼稚園の庭にザクロの木があり実をつけた。食べられると聞いて恐る恐るその真っ赤な粒を口にしたのを覚えている。物心ついて初めて口にした野生の果実だった。
そもそも「ザクロ」という語感がなんともオドロオドロしい。この名前(日本名)、一説によれば主要産地であるイランのザグロス山脈から来ているとか。
なるほどイランの一般家庭でもてなしを受けたとき、お茶請けにザクロが出てきた。ナイフと共にお皿に乗って・・「自分で切って食べろということか?」少々困っていると、主人が包丁で割って差し出してくれた。 明り取りの天窓がある絨毯敷きの居間には家族が勢ぞろいしていて、子供達は僕がザクロの粒を不器用にもぐ姿をもの珍しそうに眺めていた。


もうひとつ、ザクロにまつわるお話を。イランと同じくシルクロードにある新疆のカシュガルという街で僕は不思議な機械を目にした。それは市場の売り子の少年の前に据えられていた。
カキ氷を削る機械ほどの大きさ。ピカピカに磨き上げた鉄でできており、上部にはまるでヘビメタバンドかロック歌手のジャガーさんの衣装のような鉄の棘の装飾が施されている。 そのデザインが余りにも格好良かったので、僕は吸い寄せられるように売り子の少年のところに行った。何を作る機械か?とたずねると彼は鉄の棘を指さした。装飾だと思っていた棘の何本かにはザクロの実が突き刺さっていた。 そして、機械についている長いレバーを押し下げる仕草をし、機械の下に置かれた小さなプラスチックのコップを差した。なるほど、ザクロジュースを搾る機械か。


これは飲んでおかなくちゃいけない。注文を受けると少年は鉄の棘からザクロを抜き取り、レバーを力いっぱい押し下げた。実は押しつぶされ赤いジュースがコップに滴り落ちてきた。1個のザクロからはそれほど多くのジュースは出ないようだ。 小さなコップに満たされた真っ赤な液体は初めて食べた幼稚園のザクロ同様に甘酸っぱかった。


ザクロ搾り機のデザインにすっかり惚れ込んでしまった僕は、その後、市場でこの機械を探したが見つからなかった。冷静になって考えれば、見つかったところで僕はどうやってこの機械を持って帰ろうとしていたのか? 帰路は列車、タクシー、バス、飛行機と乗り継がねばならなかったはずなのに(笑)
カシュガルのザクロジュース売りは今でもあの機械を使っているのかなぁ・・・



2018年11月記



今日の一枚
” ザクロジュース売り ” 中国・新疆ウイグル自治区・カシュガル 2006年




fumikatz osada photographie