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白夜の森の住人になる


キフヌは東西3km、南北7kmの小さな島だ。島の半分は植林された松林。カラマツかアカマツかおそ松か・・・その辺の知識には疎いが松林だということは確か。辺り一面マツボックリが転がっているから。残りの半分は農耕地と住宅地、クヌギなどの原生林、そして湿地帯。


人口600人、戸数にすると100戸くらいだろうか。観光用の地図には主要観光スポットの他に四角いマークと名前が付されている。実際の風景と比べてみると民家の一軒一軒を忠実に記していることが分かる。真新しい舗装道路は島の道の2割ほどで、あとは林の中を抜ける林道と土ぼこりの舞う砂利道である。先ほどの地図には細い林道の一本一本まで記されているから迷うことはない。



島には教会がひとつある。松林の間を南北に走る目抜き通り、ツアー客が必ず立ち寄る資料館の向かいだ。遠くの畑の中からでも森からちょこんと飛び出した教会の屋根が見える。

島には学校がひとつある。エストニア語で学校はKOOLだ。キフヌ・クールは資料館の裏手の平屋建て。夏休み中らしく生徒の姿は見えない。昔、沖縄の竹富島に行ったときに中学の卒業式の話を聞いたのを思い出した。竹富には小中学校しかなくて、高校は島外へ。だから、中学の卒業式は島民あげて盛大に送り出すって言ってた。キフヌはどうなんだろう。高校まであるのかな?

島にはカフェ兼レストラン兼バーが一軒ある。北東にあるフェリー乗り場から来る道と先ほどの目抜き通りとの交差点、ここが実質的に島の中心だ。森を見渡せるテラスがあり、綺麗なウエイトレスが接客してくれる。

島には日用雑貨店が3軒ある。カフェの1階にある「クラセ・プード」、交差点を西に進んだところにある「キフヌ・プード」、東の集落にある「カラーセ・プード」だ。え?「フード」の間違いじゃないかって?エストニア語でプードは商店のことらしい。クラセ商店、なるほどそれっぽい店構えだった。

島には飛行場がひとつある。北部にあるキフヌ空港の滑走路は草地だ。島の民家と同じように木造の待合室に、同じく木造の管制塔が隣接している。軽飛行機、緊急用かな。

島には灯台がひとつある。空港とは反対の南の端。未舗装路を延々と走らないとたどりつかない。袂には半ズボンに素足といういでたちの男が草むらに寝そべって本を読んでいる。「ちわ、灯台の上に上ってみたいかい?」と声を掛けられた。なんだか怪しい。後で法外な値段を吹っかけられたらイヤなので僕はとっさに「いいえ」と返答した。「そうかい」男は残念そうにそうつぶやくと再び本に目を落とした。本当は上ってみたかった。上からは北に向けて島全体が見渡せたに違いないから。足元の原生林も、遠くの畑も教会も、そして松林も、きっと見渡せたに違いない。

島にはスピード違反取り締まりカメラが一台ある。カフェの交差点から資料館に続く森の中の直線道路。道端に鳥の巣箱みたいなものが立っている。ガラス張りの窓の中には昔のフィルムカメラがちょこんと置かれていた。「スピードカメラ」と書かれているが本当かジョークか?ちなみに「警察」の看板は見なかった。パトカーらしきものは見た・・ような気がする。

島には共同墓地がひとつある。カフェの東側の松林の中にひっそりと横たわっている。清掃をする墓守、花を手に訪れる老人たち。新しい墓の前で涙を流しひざまづく人。島の歴史を作ってきた人たちがここに眠っている。
以上、毎日自転車を走らせて自分の目で確認できたことがらのみを列記してみた。



平坦路でアップダウンはない。自転車にはやさしい島だ。しかし、天気はめまぐるしく変わり、一日たりとて晴れ続けた日はなかった。常に強い風が吹いていた。カサカサと森全体がそよぐ音があれほど大きいとは。日は長い。6月の太陽はなかなか沈まない。グライダーのように地面すれすれの低空飛行を続け午後10時半ごろようやく地平線に消える。しかし、泊まったログハウスの窓から見える北の空は夜中の12時半でもまだほんのりと明るい。その後は眠ってしまうので果たして夏のキフヌ島に漆黒の闇が訪れるのかどうかは定かではない。けれども、4時ごろ目を覚ますと既に辺りは明るくなっている。


白夜の季節の森は生命に溢れている。多種多様な鳥たちの鳴き声、孵化したばかりのカタツムリ、沢に住むヘビ 、綺麗な花・・・ 人間の人口は僅か600人だけど、キフヌの森にはその何百倍もの生き物が暮らしている。僕は子供の頃、父親の田舎で同じようなことを感じた。しかし、白夜の森での生物の営みとなると一段と神秘性が増すのはどうしてなんだろう。



2016年7月記



今日の一枚
” キフヌの森 ” エストニア・キフヌ島 2016年




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