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遠く離れたふたりの顔


インドのジョードプルという街で僕は写真を撮っていた。「おい、カメラマンが写真撮ってるぞ。お前も1枚撮ってもらうといい」大人たちにそう促されてきれいな服を着た女の子がカメラの前に現れた。僕はもちろん喜んで応じた 。ファインダーを覗いて構図を決めているときにふと気づいた。
「あれ?こんな写真を半年前にエチオピアで撮ったな」
こういうことはよくある。その度に「ああ、また同じような写真撮ってるな」とワンパターンに嫌気が差したり「コレが自分のスタイルだから仕方ない」と開き直ったりする(笑)


さて、日本に帰ってエチオピアの写真を探してみるとやっぱりあった。似た構図、似たシチュエーションのその写真が。しかし、それよりも僕は興味深いことに気がついた。この二人の少女の顔立ちがよく似ているということだ 。


今回はひとつ世界地図を片手に読んで欲しい。
古来インドには褐色の肌を持つドラヴィダという人々が住んでいたそうである。おそらく、ずっと昔にアフリカ大陸東海岸から海を越えて渡ってきた人種であろう。しかし、その後インドには現在のイランのほうからアーリア人が入ってきた。このアーリア人の定義は諸説あるらしいが、容姿の特徴としては明るい肌と長い鼻、彫りの深い顔を持った人たちだそうだ。これにヒマラヤや東からのモンゴロイドの要素も加わり、インドは人種の一大交差点のような場所になった。


ここでさっきの写真にもどる。エチオピアの彼女、そしてインドの彼女、いずれも西の顔と南の顔が同じようにブレンドされている。距離は離れていても二人のルーツが共に西アジアと東アフリカにありそうなのは大変おもしろい。
もしかしたら二人の微妙な顔立ちの違いというのは、祖先たちの辿ってきた道の違いなのかもしれない。方や海路でアフリカからインドにやってきてそこでイランの方面から来た容姿と交わる。方やイランから南下した人たちとケニアのほうから北に上がった容姿が交わるというわけだ。
以前、僕は「エチオピア人の中にはインド人の顔の要素がなかった」と書いたけれど、エチオピア人とインド人は総体的に似ているのだ。


それにしても、ここまで想像を掻き立てられる「顔」というのは僕にはいささかうらやましい。なぜならば、これも前に書いたけれど、自分の顔を見ても全く物語が浮かばないからだ。
「むかーし、昔、モンゴロイド顔をした一人の男がアジアの東の端の小島に住んでいました。そして今もその子孫は島に住んでいますとさ。おしまい」嗚呼・・・す、すみませんっ、私のご先祖様。悪意はございません。私が動けばよいのです。


2013年3月記



今日の一枚
” ポートレイト ” (左)インド・ジョードプル (右)エチオピア・ゴンダール 2012年




fumikatz osada photographie