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ラ・コンチャの海岸を歩く


「バスク」という地域に興味を持ち何度か通ったことがある。バスクとはビスケー湾に沿ってフランスのバイヨンヌからビアリッツ、スペインのサンセバスチャン、ビルバオ、そしてやや内陸のビトリアの辺りのことを言う。2つの国にまたがって同じバスク人がコミュニティーを形成していることもさることながら、彼らが話すバスク語(エウスカディ)が仏語やスペイン語とは全く異質の言語であるということに僕は強く魅かれた。バスク語の綴りはどこか北欧の国の言葉のようにも見えた。


フランスバスクのバイヨンヌではバスクの文化はフランスの一地方都市の中に柔軟に溶け込んでいる。しかし、仏西国境で列車を乗り換え、ピレネー山脈の指先のような小山をトンネルで越えた途端、頑固なバスク色が強くなってなんだか嬉しくなってくる。そう、スペインバスクの町ドノスティア(サン・セバスチャン)はもうすぐそこだ。街ではバスク語を頻繁に耳にするようになり、バスク人の象徴である黒いベレー帽を被った男たちを見かけるようになる。

ビスケー湾に沿ってさらに西に進むと、ビルバオという街でバスク色は最高潮に達する。ビルバオはバスクで最も大きな街。なるほど、ネルビオン川が街の真ん中を流れ、雨に煙るビルバオはいぶし銀の味を醸し出している。
けれども、僕の好みはどちらかというと華やかなサン・セバスチャンの方。「ラ・コンチャ(貝殻)」と呼ばれる美しく弧を描く海岸とその周りに広がる町並み。残念ながら旧市街の大部分はナポレオンの侵攻によって焼き払われ、ラ・コンチャの東側に僅かに残るくらい。それでも、狭い旧市街の石畳には情緒があるし、軒を連ねるバル(Bar)の料理は例外なく美味い。これは僕が経験から出した結論だが、地元の人間に聞いてみたら「ここは美食の街なんだよ」と胸を張って言っていた。

そう、この街のバルのつまみは手が込んでいて種類が実に豊富だ。スライスされたバゲットパンの上に新鮮な魚介類のせたピンチョスが「どれでもご自由に」とばかりカウンターの上にずらりと並ぶ。今や欧州でもすっかり市民権を得た日本の寿司だが、当時僕は寿司が欧州で大ブレークすることがあるとすれば、おそらくここからだろうと確信したほどだ。サン・セバスチャンはそれほど魚介類が新鮮でおいしかった。


お腹いっぱい食べてワインでほろ酔い気分になったら、波の音を聞きながらラ・コンチャの海岸線を散歩する。アールデコのアンティークな街灯の下で老人たちが夜風を浴びながら世間話をしている。海も山も街も小ぢんまりと上品にまとまっているサン・セバスチャンは僕にとって理想的な街のひとつだ。


2007年1月記



今日の一枚
” ラ・コンチャ ” スペイン・バスク・サンセバスチャン 1997年


何の見返りも求めない その1




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