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合作の丘


僕は当然そこが夏河(シアホ)の町だと思っていた。なぜなら、臨夏(リンシア)のターミナルで「夏河!」という呼び込みにしたがってバスに乗ったからである。 中国・甘粛省のチベット文化圏を訪ねるという今回の旅の目的地は、夏河というチベット寺院の門前町だった。
起点となる蘭州を出た後、臨夏という回教徒の町を中継点にして夏河を訪れようと考えていた。 これには「高度順応」という意味合いもあって、標高1500mの蘭州から、1900mの臨夏、2900mの夏河と、われながら良く練られた計画だと思った。


バスに乗って僕がたどり着いた夏河は予想したよりも遥かに大きな町だった。以前見た町の写真とはかなり違う。「中国の地方都市はずいぶん急速に発展するものなのだな」と軽く流そうとしたのだが、街を取り囲む山々までもがなんだか写真と違うような気がした。ゴツゴツとした岩山ではなく、なだらかな草原地帯で実に広々としているのだ。

けれども、その雄大な景色を目にしたら「写真との相違」なんてどうでもよくなった。街を取り囲む大草原の山々はまるで「登ってください」といわんばかりに僕を誘っている。 さっそく丘とも山とも呼べるような草原地帯を登り始めた。日曜日、高山の日差しは容赦なく降り注ぎ空は抜けるような青空だ。 住宅地を抜け、マニ車の脇を通りすぎると、道は丘の上の祈祷旗(タルチョ)に向かってまっすぐに登って行く。

祈祷旗のところまで行くと、草原の道はさらにもっと高いもうひとつの峰へと伸びていた。休日だからいろいろな人とすれ違う。馬を連れて段々畑を耕しに行く家族、日傘をさして草原を散策する人。 僕は一本道をひたすら丘の頂上に向かって歩き続けた。


ふと頂を見上げると、人がふたり立っているのが見える。(そのあと僕は、何度同じような光景を丘の上で目にしたことだろう<笑>)とりあえず、僕はそこを目指してのぼってゆくことにした。それにしても空気が薄い。苦しい。おそらく、標高は3000mを超えているだろう。 ようやく、ふたりの姿が確認できる辺りまで来た。ジーンズ姿の女の子がふたり今度は草の上に腰を下ろして歌を歌っていた。

近づいて声をかけた。「ニーハオ」「ニーハオ」草の上には沢山のお菓子と携帯電話。(なんだか世界中の風景は画一化してきている) それから、僕はいつものように悪戦苦闘の筆談を開始した。幸いにも日曜日の草原の上、お互いに時間はたっぷりある。 ふたりの名前はドゥマとルドゥ。師範学校の音楽科の学生だった。 はじめはカメラの前で緊張気味だったふたりも、段々慣れて来て様々なポーズをとり始める。なかなか良い傾向だ。
「次のポーズ」ドゥマがすくっと立ち上がり右手を空に向けた。体を波打たせ左手を下に。眼下の風景と合わさって、なんだか神様が天から収穫の恵みを山腹の段々畑に下ろしているようにも見える。 (ちょっと大袈裟かな)

ひとしきり写真を撮り話をして、最後に互いの腕に名前を記して別れた。僕が歩き始めると、ふたりは再び携帯電話から流れる音楽に合わせて大声で歌い始めた。 なるほど、ここなら誰に気兼ねすることもない。(それにしても世界の風景は・・・)
坂をずいぶん下ってから振り返ると、すでに小さくなったルドゥがさっきの丘の上に立っているのが見えた。おそらくドゥマの方は座っているのだろう。


その日、僕は臨夏に一度戻らなければならなかった。草原の丘を思う存分歩いた後で「夏河ってよい所だな」そんなことを考えながら僕は臨夏行きのバスに乗った。
ところが、この話にはオチがある。翌日、同じ臨夏のバスターミナルから「夏河行き」のバスに乗ったら、昨日とはまったく違う町に着いた。草原の丘もない、ドゥマもルドゥもいない。大体、町の大きさが昨日と全然違う。小さい。やけにチベット色が強く大きな僧院まである。なんだか狐につままれたような感じだ。
そう、僕はホンモノの夏河に到着したのだった。それでは昨日の町はどこ?それが合作(ホーツォ)市であったことが判明するまで更に一日を費やした。


2008年10月記



今日の一枚
” 丘の上で ” 中国・甘粛省合作 2008年


イランギャルのヘジャブがずれ上がってきてる件 その1




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