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マンハッタンの雪に想ふこと


田舎で見る雪景色というのは、なんとなく荒涼としていて「寂しさ」や「厳しさ」を感じる。けれども、都会で見る雪には「やさしさ」のようなものを感じる。街と自分とがより親密になる。そう感じるのは、はたして僕だけだろうか?そして、雪の日の風景や会った人、出来事がなぜか強く記憶に刻まれるのはどうしてだろうか?雪国で暮らしたことがない自分にとって「雪の日」というのが年に数度の「特別な日」だからであろうか?

それでも、ニューヨークにいたころは東京より多くの雪を経験した。そして、僕は雪の街を歩くのが大好きだった。雪が降ると、夜遅くても写真学校からわざわざ回り道をして帰った。昼間は人であふれている公園もすっかり雪化粧して静まり返っている。降りしきる雪の中、間接照明に摩天楼が幻想的に浮かび上がり、街灯とショーウインドウの灯りが雪に反射して街を照らしていた。道を走るタクシーがぐしゃぐしゃと泥はねを上げ、交差点の隅っこには融けた雪の水溜りが出来た。路上駐車の車も公園の木々もみな一様に綿帽子をかぶっていた。こうして雪という一枚の絨毯で覆われることが自分と街との一体感を促すのかもしれない。

先日、思いがけずサラリーマン時代の上司の訃報を知らされた。僕の退職後、彼はニューヨーク勤務になり、その冬、何度かオフィスを訪ねた。そういえば、彼と最後に会ったのも大雪のニューヨークだった。記録的な大寒波で何度も雪が降り、NY湾にはハドソン川から流れ込んだ大量の流氷が浮いた年だ。
僕らはロックフェラーセンターのオフィスを出ると、コートのポッケに手を突っ込んでミッドタウンを歩いた。日本食の居酒屋に行って鍋をつつき、再会できたことを祝して熱燗で乾杯した。何の話をしただろう、NYの街のこと、家族のこと、昔の同僚のこと、その後の会社のこと、自分の近況、そんな話だった。閉店時間で居酒屋を追い出されると、ぐしゃぐしゃの道路を歩いてピザ屋に行った。そして、1ドル40セントのスライスピザを食べながらコーヒーを飲んだ。

降りしきる雪の中、坂の途中の停留所で僕らはバスを待っていた。しかし、午前1時、大雪の晩にバスはなかなか来ない。頬被りをしたヒスパニック系の家族は寒さに震えながら、もうずいぶん長い間待っている様子。スペイン語で聞いてみたら、40分以上も待っているらしい。「おや、おまえスペイン語いつ習ったの?」「NYでは今みたいにスペイン語を話さなければならない状況があって(笑)」「スペイン語話しているときはおまえ<ラテン系>に見えるな」「それにしてもスペイン語ほど大雪の晩に似合わない言葉はないですね」 僕らは大笑いした。

バスが来る気配はない。彼のコンドミニアムは僅か2ブロック先なのに付き合ってもらっているのがなんだか申し訳なくて、僕は地下鉄に乗ることにした。彼は「そっか、それじゃあ歩いて帰ろうかな。おやすみ。また、東京で会おう」そう言って僕と握手を交わした。
交差点を渡り終えて後ろを振り返ると、彼が坂道を下って行くのが見えた。マンハッタンの雪は一向にやむ気配なく降り続いている。結局、僕らが東京で再び会うことはなかった。


2006年1月記



今日の一枚
”雪のマンハッタン” アメリカ・ニューヨーク 1994年


冬の庭




fumikatz osada photographie