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18年目のベルリン


観光で西ベルリンを訪れ、次の訪問国イタリアに着いた直後にベルリンの壁が崩壊した、という実にドラマチックな経験を持つ友人がいる。あいにく、そんな貴重な体験を僕自身はしていないが、そのニュースは今でもハッキリと憶えている。そして先日、壁が崩れてから18年目にして僕は初めてベルリンを訪れた。


「もっと早く来ていればよかった」最初はそう思った。旧東ベルリンと西ベルリンの境目はもう完全にぼやけ始めているからだ。確かに、旧東ベルリン地区と西ベルリン地区では路面電車や建物など街並みの違いはある。しかし、壁によって分断されていたころのベルリンを知らない僕にとって、それはドイツの首都であるこの街のひとつの特徴にしか過ぎない。
観光客というのは冷酷なもので、たとえそれが過去の忌まわしい出来事だとしても、ベルリンという街には何かそういった歴史の痕跡のようなものを求めている。少なくとも、僕がベルリンを訪れた理由はそうだ。

街を歩いていると建物のない「空白地帯」がぽつんぽつんとあって、「ああ、ここはかつての壁かな」と想像がつく。しかし、肝心の「壁」はモニュメントとして残された部分を除いてはほとんど取り払われている。そして、そのモニュメントの前では観光客が写真を撮っている。
壁が崩れたときに生まれた子供は既に18歳、壁の存在すら記憶にない世代がどんどん増えている。おそらく彼らは僕と同じ感覚で壁のモニュメントを眺めるだろう。自分の知らない過去の遺物として。そして「あの壁」のことは次第に人々の頭の中から消え去って行く。寂しいが、これは仕方のないことだ。

しかし、ドイツがひとつの国になって、ベルリンが普通の街になり、人々が幸せを謳歌するようになればなるほど「いったい壁によって隔てられていたあの40年は何だったのだろう?」という想いが湧いてくるのは僕だけだろうか?いや、壁の時代を知っているベルリン市民たちはきっと痛いほどにそれを感じているはずだ。生涯、親族と離れ離れになった人々の人生は、そして、壁を乗り越えようとして失われた人達の命はいったい何だったのだろうか。

馬鹿げた巨大国家の権力争いに右往左往させられる人間の人生のなんとはかないことか。しかし、考えてみれば戦争なんてみなそんなものかもしれない。大きな権力の暴力の前に、結局、ひとりひとりの人間なんて虫けら同然なのだ。そして、その悲しい争いの歴史はここベルリンでこそ終焉を迎えたが、今日も世界のどこかでその過ちを繰り返し、新たな壁さえ作られているのが現状だ


平和でごく普通の街になった18年目のベルリンは僕に様々なことを考えさせてくれた。


2008年2月記



今日の一枚
”壁” ドイツ・ベルリン 2007年


21世紀の壁 その3




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