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トレモリノス


スペイン・マラガ市のトレモリノス、海岸の近くに庭つきの家をひと月借りた。当然、最初からこんな贅沢を望んだわけではなく、はじめは1ヶ月暮らせるだけの小さな部屋を探していた。けれども、話が予想外に良い方向に転がってしまうことは、ごく稀にだがあるものだ。結局、僕が手にしたのは芝生の庭と大きなガラス窓と暖炉のあるリビング、4つのベッドルームと2つのバスルルームを持つ一戸建てだった。家のつくりから推測するとシーズン中は家の中の扉を閉め、2軒に分けて貸し出すようだ。BRにはどの部屋にもきちんとベッドがあったので僕は毎日寝る部屋を変えた。当たり前だが、5日目に元のBRに戻ってきた(笑)


荷物を運び込んだあと、隣にあるオーナーのアデラおばさんの家へ家賃を払いに行った。彼女は留守で息子のフランシスコが出てきた。「家賃?いくらで借りたの?」「月4万ペセタ(3万円ちょっと)」彼は首を振った。「いくらオフシーズンだとはいえ、いくらスペインの地方都市だとはいえ、家1軒ひと月4万ペセタはバーゲンすぎるぜ、おっかさん」と顔にハッキリ書いてあった。

家の前の道を200メートルほど歩くと砂浜の海岸線に出た。平坦な砂浜はところどころ突き出した岩場で断ち切られる。今の季節は人影もまばらで、砂浜の売店も海岸通りのレストランも半分だけやる気を見せている感じだ。建設中の高層アパートがあちらこちらにあって、おそらく数年後には海岸線もかなり様変わりするであろう。
そういえば、トレモリノスにはスペイン人以外の住民が多い。これは住んでみて気がついた。ジブラルタルが近いせいかイギリス人が多いようだ。欧州のリタイヤ組が太陽を求めて不動産を購入し移住してくるというわけだ。
1970年代、アデラおばさん一家がベネズエラから移住してきた時には、ここは正真正銘の「アンダルシアの田舎」だったそうだ。だから、フランシスコはカラカスの小学校の友人たちに「なんでまた、そんなにへんぴな場所に引っ越すんだい」とからかわれたらしい。


そのフランシスコは時々僕のところに遊びに来た。失業中だったが、仕事が見つかるまで永遠に給付される失業保険を貰いながらヨットハーバーのヨットの中でガールフレンドと同棲していた。昼間は地中海に出ていて、大学の授業を終えたガールフレンドが無線で(当時はまだ携帯電話がなかった)呼ぶと港に戻って来た。

「風向きが悪いとモロッコに流されるけど、一度ヨット乗りにこないか」と誘われたことがある。しかし「酔わないだろうね」と念を押された時に「ダメかもしれない」と答えたら、それ以後彼はヨットの話題に触れなくなった。アンダルシアの真っ青な空の下、大海原に漕ぎ出すフランシスコの白いヨットの帆を見たとき、僕はこんな疑問を持った。「働くというのは果たして美徳なのだろうか?」


2006年1月記



今日の一枚
”トレモリノス” スペイン・トレモリノス 1993年


1 買い物袋と闘牛場 2 腐れ縁のまち 白い街のキャプテン翼




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