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アパゴンの夜


民宿で荷物を解いていると、部屋の電気が突然消えてしまった。夕暮れで辺りはもう暗くなり始めていて、さすがに部屋の扉を全開にしても手元が見えない。不安な顔でリビングに行くと奥さんのカルメンが「ああ、アパゴン(停電)ね」と慣れた感じで言って、お皿に乗った蝋燭をそっと僕に手渡した。
ハバナでは停電なんて経験したことはなかったのに、首都を出て地方の都市に行くとそれは頻繁に起こった。ここ、シエンフエゴスには原子力発電所がある。作りかけの原発が。ソビエトが崩壊してしまい、資金が費えてそのまま建設がストップしたそうだ。それにしても、作りかけの原発ほど役に立たないものはない。しかも「燃料が”少しだけ”入っちゃってる」そうだから始末に悪い。未完成の原発のある街で毎晩停電が起きる。なんだかシュールな世界だ。しかしその一方で、問題の解決策は非常に単純明快なような気もする。


カルメンは蝋燭を渡しながらこう言った。「夕食を食べたら、近所にある親戚の家に一緒に来てくれない?日本人のお客さんなんて初めてだから紹介したいの」まだ映画などでキューバが脚光を浴びる前のこと、確かに街を歩く東洋人は殆どいなかった。その「もの珍しさ」のおかげで僕は非常に不快な思いをした。しかし、こうして歓待を受けこともまたしばしばあったのだ。「おやすい御用です」僕は喜んで了承した。

街は街灯も消えて真っ暗。歩道はところどころ穴があいているから注意が必要だ。片手に懐中電灯を持ちながら、もう一方の手でカルメンの手をとって歩いた。街の中なのに空を見上げると驚くほど沢山の星が見える。
「日本はいいわね。お金いっぱい稼げて、裕福な暮らしができて」ふと、彼女がもらした。「でもさ、稼いでも生活するにはキューバの数倍ものお金がかかるんだよ。それに、毎日、満員電車にも揺られなくちゃいけないし。それでもいいと思う?」すると、カルメンはこう答えた。「それは嫌だわ」
なんとなく意外な答えだった。それまでも、世界の多くの場所で同じような話題になったものだ。でも、大抵自分の話す「豊かさの価値観」というのは理解してもらえなかった。話の結末は「それでも、お金を稼げたほうがいい」ということになるのだ。でも、カルメンの答えは違った。それが僕にはちょっと意外だったのだ。「おお、解る。わかりますか。そうなんですよ。そういうのは豊かとは言えないんですよね。きっと」僕はなんだか嬉しくなった。

僕にとって初めての社会主義国キューバ訪問。実は不安で一杯だった。例えば、自分の人生観や職業のことを話すのに、いったいどの辺から説明したらよいのだろうか?「資本主義経済とは。豊かさとは」そんなことから説明しなけばならないのだろうか?と本気で考えた。しかし、ふたを開ければそれは全くのとりこし苦労だったようだ。むしろ、僕は自分のキューバに関する無知さ加減にあきれたほどだ。

大きな穴ぼこをピョンと飛び越えて僕は言った。「でも、日本ではこういう停電はめったに起こらないかな」 「でしょうね。電力供給が安定しなくてここでは所中」 「しかし、停電もいいものだよ。こんなに綺麗な星空も見えるし」 「そうよ」 「おお、解る?この幸福感」降るような星空の下で僕らは笑った。その笑いには互いにわかり合えた満足感だけではなく、互いが暮らす社会に対する皮肉がちょっぴり内包されていた。


2009年7月記



今日の一枚
”ドミノ” キューバ・シエンフエゴス 1998年


3Aプレーヤー 中国、昇り龍 福島




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