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良い質問ですね


「That's a good question(良い質問ですね)」と言われて僕は鼻高々だった。まだアメリカに渡って間もないころの話。よい質問だって褒められちゃったったよ・・・英語もままならぬ人はそう言われて悪い気はしないでしょ?その後アメリカではこの「よい質問ですね」に頻繁に出くわした。すると、だんだんこの言葉の裏側が見えてくる。つまり「よい質問」とは回答者にとって都合のよい質問なのかもしれない、ということだ。例えば、予め答えが用意されているとか、回答することによって自分の点数を稼げるとか・・・
いや、もしかしたら本当に良い質問なのかもしれない。しかし、回答者に質問の内容の良し悪しを評価されるなんて質問者としてはかなりの屈辱だと思うがどうだろう。


僕に久々に「よい質問ですね」を思い起こさせたのが今年の国内の政治である。
東京新聞社会部の望月記者が官邸記者会見の席上、加計学園問題について官房長官に何度も追求質問。「不適切な質問」に対して官邸側から同紙に抗議文が送られた。というのがそのひとつ。
ジャーナリズムが「権力の番犬」であるならば(少なくとも僕は学校でそう習った)、他の記者たちも望月氏の側につくはずだが、別の考えがそれを遮るんだろうね。
官邸付きの政治部の記者にしてみれば、番犬どころか官房長官のかわいい飼い犬に成り下がっていたほうが、大本営発表のおこぼれのようなリークをまわしてもらえる。「この和気あいあいとした雰囲気を壊さないでくれ」というのが本音なんだろう。なんともみすぼらしい姿勢だが、記者クラブにしろ、前もって書面で渡されている質問文にしろ、日本のジャーナリズムってのは所詮その程度なんだな。「悪い質問」をする記者は二度と指名されない。手を挙げても挙げても官房長官に指名されなくなる。
考えてみれば「悪い質問」をする人を排除する風潮というのは日本に限ったことではないのかも。アメリカのトランプ政権を見てそう思う。


国会や委員会における与野党の質問時間の配分の変更も話題になった。与党の質問時間の割合が増したというあれである。政権への厳しい質問追求といっても、同じ与党のいわば身内からの質問の「厳しさ」なんていうのはたかが知れている。やろうと思えば、前もって質疑応答の擦り合わせだってできる。もちろん、日本の首相は「よい質問ですね」なんてあからさまに言わないけれど、あまりに緩い身内からの追求と、あわよくばヨイショさえしてくれる与党議員の質問にほくそ笑んでいるかもしれない。


国民の本当に知りたい、権力者の痛いところをつく質問が遮られ、毒にも薬にもならない予定調和の質疑応答「良い質問」ばかりがクローズアップされる。それどころか、質問者を回答者が選別する。なんとも薄気味悪い世の中になったものだ。



2017年12月記



今日の一枚
” どのクマがもっともイージーか? ” 日本 2016年




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