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クマちゃん その1


今から15年以上前、仕事場が東京都北区赤羽にあった頃の話だ。帰り際に僕は同僚のクマちゃんに声をかけた。
「クマちゃん、今日飲んでく?」「ごめん、今日はバングラパーティーだからダメなんだよ」「へえ?何それ」突飛な返事が返ってきたので僕は思わずニヤリ。話を聞くとクマちゃんのアパート、お隣さんが出稼ぎに来てるバングラデシュ人らしく、月に一度同郷の仲間が集まって料理を食べる。いつしかクマちゃんまで招待されるようになったんだって。
「ところで、バングラデシュ料理ってどんな感じ?」「主にカレー」今度はその答えが余りにも予想通りだったので笑ってしまった。正直、当時の僕はインドとバングラデシュの違いもよくわかっていなかった。その後もコンスタントにバングラパーティーは開催されていたらしい。


数ヶ月かたったある日、クマちゃんがポツリとつぶやいた。「なんだか隣の部屋の住人がどんどん増えてるような気がするんだよね」たしかクマちゃんとこ、1DKのはず。最初はお隣さんひとり住まいだと聞いたけど・・・パーティーの度に居座ってしまってるのかなぁ?聞くところによればバングラデシュって人口密度世界一の国らしいゾ・・・しかし、当のクマちゃんはそんなこと全く気にせずに月に一度のパーティーでバングラデシュ人たちと親交を深めていった。驚くべき社交能力だ・・・
その後、残念ながらクマちゃんは故郷でボクシングジムを始めることになり東京を引き払ってしまった。(たいへん重要なことを言い忘れましたが(笑)クマちゃんはプロテストにも合格した立派なボクサーだったんです)それ以来、クマちゃんのこともバングラパーティのことも僕の頭のずーっと片隅に追いやられていた。


先日ラッシャイというバングラデシュの地方都市の裏道を歩いていたときのことだ。「日本人ですか?」と初老の男性に日本語で声を掛けられた。ラナさんというその男性は以前日本に住んでいたそうだ。ははあ、だから日本語が上手なのか。まあしかし、ここまでならわりとありがちな話である。前回のイラン同様、バングラデシュにもかつて日本に出稼ぎに行っていた人たちはたくさんいるからだ。しかし、ラナさんが、埼玉県の戸田市に住んでいたと聞いてなんとなく親しみが湧いた。「え、当時赤羽で仕事してたんですか?近いですね」とラナさん。バングラデシュの西の外れで「戸田、浮間船渡、赤羽、板橋」とJR埼京線沿線のかなりローカルな話が始まった。立ち話では・・・ということでラナさんのオフィスにお邪魔した。


小さなビルの3階にあるラナさんの仕事部屋に通される。格子窓を通してバングラデシュの午後の日差しが差し込んでいた。ラナさんは自分のことを「新聞屋」と呼んでいた。地元のローカル紙の編集、もしくは全国紙のラッシャイ支局だと思う。(紙面を見せて頂いたが、ベンガル語を解さないので詳細は不明)
彼が戸田に住んでいたのはもう20年も前の話。にもかかわらず、記憶は確かでまあ出てくる出てくる面白い話が(笑)日本に来たばかりのころ新宿駅の改札で戸惑ったことや、恋の話、日本人に親切にされた話、自転車を盗まれた話、問題が発生しコワいお兄さんに話をつけてもらった話、仕事のこと、住まいや食べ物のこと・・・と僕はそこでクマちゃんのあのバングラパーティーのことを思い出したのだ。そこで一連の出来事をラナさんに話した。「ラナさん、ひょっとして赤羽のアパートでバングラパーティーに出席したことありませんか?」と念のため聞いてみた。彼は笑いながら首を振った。
年代的にはそれほどズレていないはずである。もしかしたら若き日のレナさんと僕は埼京線の沿線ですれ違っていたかもしれない。クマちゃんと僕は日本人の立場からバングラデシュの人たちの行動に少なからずカルチャーショックを受け、一方で好奇のまなざしを向けていた。ラナさんもまた異国での生活に戸惑いながら日本人や文化に対して興味を示していた。そういう事実をひょんなことから僕は2015年のバングラデシュで知った。


日本で暫く働き、ラナさんが家族の住むバングラデシュに帰りたいと切り出したとき、職場の上司はかなり強く引きとめたそうだ。「バカヤロ、バングラデシュに帰るって?バカヤロ」とビートたけしの物まねで言われたあと「ラナさん、頼むから帰らないでよ」って(笑)日本の友人たちもみな別れを惜しんでくれた。
故郷に戻ったラナさんは「新聞屋」になった。現在は子供たちも結婚して悠々と人生を謳歌してる。気になるのはその後のラナさんと日本との関わりだが、残念ながらあまりないらしい。一度だけ日本の新聞にバングラデシュの鉄道事情の写真記事を送ったのみ。日本の友人たちとの音信も途絶えてしまったようだ。悲しいかなインターネット以前の交友関係はそんな感じだ。これは自分にも覚えがある。



2015年2月記



今日の一枚
” ポートレイト ” バングラデシュ・ラッシャイ 2015年




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