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僕がKさんと歩きながら話したこと その1


旅先ではできるだけ現地の人たちと話すようにしている。まあ世間話程度なのだけれど、結構その国の社会情勢みたいなものがチラチラと垣間見れたりする。世間話もバカにはできない。


その日の夕方僕はイランのとある通りを歩いていた。行き先表示もろくに読めないのに、全くの勘で路線バスに乗ってしまった。街の広場まで一直線、と思いきやバスは大通りを大きく外れ、結局僕は4km近く歩くことになってしまったのだ。


イラン人のKさんが僕に話しかけてきたのは、ちょうど道半ば辺りだったろうか。彼は陽に焼けた顔にロマンスグレーの髪、手には何やら大きな買い物が入ったビニール袋をぶら下げていた。
「ハイ!どこから来たんですか?」「日本です」「ほほう、イランの旅を楽しんでいますか?」「はい、おかげさまで」お互いに、意志の疎通がはかれる言葉(この場合英語だが)を見つけるとしばし世間話に花が咲く。Kさんと僕は暮れなずむ舗道を街の方角に向かい肩を並べて歩き始めた。


Kさんは最近、長年勤めた工場を定年退職したばかり。技術者だったそうだ。「ところであなたは・・・?」こう聞かれる瞬間はいつも苦痛だ(笑)僕はどうもプライベートに突っ込まれるのが苦手で。このときだけは「空気」になって相手の独白だけを聞いていたいと思う。仕方が無い。僕は重い口を開く
「.....、...、てなわけで私は未だに独身で、夕暮れの歩道を町に向かって歩いているわけです」
するとKさん「日本は結婚しない人が多いんですか?」「うーん、景気が悪くなってからは未婚率が上がってますね。それ以上に少子化が進んでいます」「なぜ?」「いろいろ理由はあるけど大きいのは経済的余裕が無くなったということでしょう」「おもしろい。それ、今のイランと全く同じ状況ですよ」このKさんの言葉に僕は驚いた。
話を聞けばイランも長引く不況と経済制裁の影響で、経済的に結婚し子供を生み育てることが難しくなっているそうだ。例えば、Kさんが子供の頃は学費はもちろん、ノートも鉛筆もタダで支給されたそうで、小中学校のクラスも12クラスほどあったらしい。それに対して今は教育費にお金がかかり、学級の数も4クラス程度に減ってしまった。イランに入ってから子供たちに写真をせがまれることが多かったので、俄かには信じがたい。しかしKさんが何度も力説するところを見ると本当なのかもしれない。いやはや、年頃になれば結婚し、家庭を持ち、子供を育てるというのが当然だと思っていたこの保守的なイスラム教の国で、まさか未婚晩婚化と少子化の話を聞かされるとは思ってもみなかった。


明白なのは経済や将来に対する不安要素が確実に少子化に影響しているということだ。つまり少子化対策にいくら手を打っても経済的に余裕ができなければこの先も少子化に歯止めはかからない。しかし、それまで日本とイランの現状の共通点にうなずいていたKさんも「今や日本人の4人に1人は65歳以上で、その比率は今後ますます増えるんですよ」という僕の言葉には、顔色を曇らせた。外国人にとっても日本の実情というのは、かなりショッキングなのだ。



「やあ、サラーム(こんにちは)」「サラームKさん。うちに寄っていきなさいよ」「じゃあ、後ほどおじゃまするよ」道すがらKさんに話しかけてきたのは、工場で働いていたときのかつての同僚だそうだ。Kさん同様すでに引退して悠々自適の生活。
しばらく歩くと花屋の前で配達物をバイクに積み込む初老の男性が声を掛けてきた「サラーム、Kさん。そちらは?」「日本からのお客さんだよ」と僕を紹介する。ふたりはしばしペルシャ語で何事かを話して別れた。
「彼も工場の同僚だったんだ。退職後あの花屋で働いているんだよ」と再び歩き出したKさんは僕に説明してくれた。皆それぞれの人生を生きているんだなぁ。


2014年1月記



今日の一枚
” ポートレイト ” イラン・エスファハン 2013年


ホルムズ海峡の遥か上空で




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