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欧米か その1


「カチャッ」ドアが開き今日チェックインしたばかりのアメリカ人が帰ってきた。世間話をしていた僕たちドミトリーの面々はしばしそれを中断してアメリカ人の話す一日のできごとに聞き入る。彼は話を手短に切り上げ再び外に出て行った。部屋は再びフランス人、スペイン人、ベルギー人そして僕の男女5人になった。
フランス人のマチュがぼそっとつぶやく「アメリカ人。なんだかすごく緊張するな」笑みを浮かべながら一同うなずく。不思議に思った僕は単刀直入に「同じ西洋人の君たちが、アメリカ人を前に緊張するというのはなんだか面白いね」するとスペイン人のアナが「いや、アメリカ人は私たちとは違うのよ。緊張する(笑)」


そこで僕はこんな話をした。
「自分が子供のころ、街で会う白人は全部アメリカ人だと思っていたよ。ちなみに黒人はみなアフリカ人だと思っていた。さらに、西洋人はみな英語を話すものだと信じていた。そこまで極端ではないにしても、今でもその程度の認識しかもたない日本人は意外に多いかもよ」
すると先ほどのマチュが笑いながら言う「ええっ、まさか。アメリカ人と俺ら容姿が全然違うでしょ。考え方も気質もさ」
いや、アメリカは移民国家だからどこかに自分と似た人たちがいるものですよ、マチュさん。その辺はマチュの固定観念が入っているかも。まあ、それはさておいといて、「じゃあ聞くけど。君たちは日本人と中国人の区別がつく?」「まったくつかない」と一同爆笑。


つまり「西洋人は全部一緒。英語で話しかければいい。東洋人は全部一緒。中国語喋っとけばどうにかなる」的な、本当はすごく無礼で間違ってるのだけれど、こうした大雑把なくくりというのが一般的な市民の考え方じゃないんだろうか?これは世界共通。
僕も昔は「ニーハオ」と声をかける見知らぬ町の人々に「俺は日本人なんだよ」といちいち反論してたが、今はどうでもよくなった。「ニーハオ」と笑顔で答えるようにしている。おそらくこの部屋にいるフランス人もスペイン人もベルギー人も、旅先で「おーい、アメリカ人さん。ハロー」と声を掛けられりゃ笑顔で「ハロー」と返すだろう。本当は、アメリカはおろかヨーロッパ同士の国々でも使う言語も生活環境も習慣も社会も政治も経済状況もずいぶん違う。でもね、知っていつつささいなところで引っかからずにさらっと流す。こういう態度になんというかその人の知性や賢明さみたいなのが表れるような気がする。大人の対応っていうかね(笑)
対して「おい、俺をあんな国の人間と一緒にするな」というのはなんとも了見の狭い感じがする。そういう人に限って「欧米では」なんてやけに大雑把に他国をくくってしまったり、英語万能論を唱えたりする。「欧米・・・」おっと、本題は次回にしようか。


2013年9月記



今日の一枚
” 冬の空気 ” ドイツ・ベルリン 2007年




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