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ラジオの向こうに垣間見えるアメリカ その2


AFRには普段よく聴いていた番組がある。「ドクターなんちゃらの人生相談」である。え?なんちゃらじゃ解らない?申し訳ない、名前覚えてないんです。
とにかくすごく厳しい女性のカウンセラーだった。その先生の「厳しい指摘スイッチ」をいとも簡単に押してしまうような夫婦間の問題、親子の問題を抱えた相談者が毎回電話口に現れる。
内容を聞いていると問題点はけっこう明確で、解決策もまた第三者にとっては当たり前のことばかり。(人生相談ってそういうものかもしれない)ドクターなんちゃらは単刀直入に問題点を指摘し、相談者は「ああ、そうですね。そのとおりです。わかりました」という指摘を全面的に受け入れるばかりで、食いつく兵もいない。相談者たちはこの厳しい先生に力強く背中を押してもらいたいんだな、きっと。
そういう意味ではこの番組はパターン化していた。ところが、僕がこのなんちゃら女史の「慈悲」を感じた回が一度だけあった。と同時にアメリカって凄いなと思った。


その日電話口に立ったのは可愛らしい声の女の子だった。いつも、疲れた大人ばかりだったので僕はラジオの前で「おや?」と思った。相談内容はこんな感じだ。彼女は14歳。両親は離婚していて母親に育てられていたが、不幸にも最近お母さんが亡くなってしまった。頼れる親戚もいない。これから先どうやって生きていったら良いのでしょうか?というものだ。「ああ、これは可愛そうだなぁ」と僕はラジオを聞きながら思った。と同時に、彼女に対してこの手厳しいドクターなんちゃらがどんな励ましの言葉を投げかけるのか興味があった。


すると、ドクターは14歳の女の子に対して「食べて行く術」を切々と教え始めたのだ。それもすごく具体的に。女の子は中学生らしい将来の夢を持っていた。たしか役者になりたいという類のものだったと思う。それに対してドクターはこう言った。「それはすばらしい夢ね。でも、あなたは明日から一人で生きてゆかなければいけない。そのためにはまず生活の糧を得ることを考えなければいけないのですよ。レストランのウェイトレスでもスーパーのレジでも自分の周りでできそうな仕事を見つけてみなさい。生活の土台ができればやがて役者の道にチャレンジする余力も生まれてきますよ。人生はそうやって着実に足場を固めてゆくものなのです」ラジオの前の僕「納得」


「進学は・・・」女の子が尋ねる。無理もない。するとドクター「もしかしたら諦めなくてはならないこともあるかもしれないわね。でもね、学校は逃げないわよ。大人になって、少しだけ余裕ができて、それでも勉強をしたければいつだって学校に入ることはできるでしょ?」そういわれてみれば、アメリカの大学生は二十歳そこそこの学生ばかりではなく、実に幅広い年齢層だった。



さて、印象に残ったこの2つの番組には共通点がある。それは、アメリカというのは「生々しい現実をしっかり見つめて、それを受け止めて行く社会」だということが解るところ。アメリカでの生活を思い出してみると、自分状況をさらけ出してドアを叩くと何かしらの具体的な答えが返ってくる社会だったような気がする。それは時として冷酷な「ダメ出し」だったりするのだけれど、なぜダメなのかをはっきり指し示してくれるからこちらとしても対処の仕方がある。それを称して「ドライな社会」とも言われる。しかし、ここでいう「ドライ」とは他人に無関心なのではなく、普段はプライベートに立ち入らなくても、サポートを求めればきちんと手が差し伸べられる社会という意味だ。アメリカの社会の「病んでいる」部分は日本でも比較的ニユースになるけれど、こうした優れた部分というのはあまり知られていないのではないだろうか。



先日、久しぶりに横田基地の脇を通りかかった。周りの商店街に昔ほどの賑わいはない。塀の向こうの基地もしんと静まり返って、敷地内の一本杉だけが凛とそそり立っていた。一方、リアルなアメリカの音の方は僕の車のカーラジオから電気の信号で聞こえてくる。なんとも不思議な感覚。日本人とアメリカ社会との接点って昔からそんなもの。近そうで遠い国なんだねアメリカって。


2013年7月記



今日の一枚
” アメリカの一本杉 ” 日本・東京都米軍横田基地 2013年




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