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上海茶会事件 その3


最後の茶を飲み終わるとチャイナドレスの女が尋ねる。
「さて、どのお茶がお好みでしたか?」
そして三人にお土産用の茶葉の値段表が手渡された。「ん?高い。これが本来の商売で、今までのは試飲だったのか?」写真家にはついにわからないまま。一言
「いや、私は土産はいりません」
と答えた。彼には土産に茶葉を買う予定など全くなかったのだから。


その返事にチャイナドレスの女はおろか、ポッターとウェンディーまでも信じられないという表情をする。しかし、二人は気を取り直して2品ずつ高い茶葉を買った。最後に2枚に分かれた伝票が写真家に渡される。彼は目を丸くした。合計2100元(2万5000円)!
「どうする?」
と聞く彼にポッターは「どうするったって払うに決まってるだろ」という表情をする。そして、いつものように彼に決定権をゆだねる。「お茶を飲んだだけの自分の支払いは高く見積もっても5000円ぐらいだろう」と思いながらも、写真家は「三等分しましょうか」と弱気に提案する。そこで初めてポッターが自分の意見を言った。「じゃあ、あなたはこちらの伝票の888元88銭(1万1000円)、私たちふたりでこちらの伝票分1200元(1万4000円)ということにしましょう」おそらく写真家が払う分は3人分のパフォーマンス料であろう。伝票の数字はご丁寧に縁起が良い「8」でそろえてある。「縁起の良い数字はなぜ1ではないのか」数字を恨みつつ彼は渋々OKした。

こうして45分の茶会は終わった。「それにしても、ちょっとお茶・・・が1万円とは」部屋を出てポッター、ウェンディーと共に赤いじゅうたんの階段を下りる写真家の足取りは重かった。男たちは相変わらず暗がりの中で話をしていた。対照的に店を出るとポッターとウェンディーは上機嫌。
「よかった。上海に来たらこの店に寄りたかったの」
とウェンディー。三人は地下鉄の駅に向かった。
「これから私たちは夕食に行くけど、あなたもどうですか」
そう誘われたが写真家は何だか不愉快な気分。「約束があるので」といって駅で別れた。


「チェッしけてんなぁ」
「思ったほど稼げなかったわね」
「しかし、観光客はどうしてこうもマヌケなんだろうな」
「名刺まで置いていったものね。いつ店にお金を取りに行く?」
「お客さん、明後日まで上海にいるって言ってたな。来週でいいだろう」
「次回は河岸を変えましょう」


二人と別れてから写真家はクレジットカードの領収書を受け取っていないことに気づいた。そこでもう一度ひとりで店にもどる。店は既にシャッターが半分閉じられていた。テーブルの男たちは写真家が横を通り過ぎるのを怪訝そうな顔で見ていた。赤いじゅうたんの階段を彼は一段抜かしで駆け上り二階のホールに出た。
にぎやかな笑い声が聞こえ扉が開いて、あの三人の女たちが部屋から出てきた。既に帰り支度を済ませ私服に着替えている。暗闇の中で彼女らは写真家と顔をあわせギョっとした。一瞬「この男は何をしに戻ってきたのだろう」という表情をしたあと、彼の言葉を聞いて安堵の表情を浮かべた「あの、レシート。カードのレシートを貰いたいんです」先ほど茶芸を見せたチャイナドレスの女も私服に着替えていた。写真家の言葉にうなずくとハンドバッグを開け自分の財布の中からカードのレシートをつまみ出し彼に渡した。写真家はそれを受け取り「お休みなさい」と言った。すると女たちも暗闇の中で「おやすみなさい」と日本語で返した。



「やっぱり、騙されたのだろうか?」時速400キロで上海の空港へ向かうリニアモーターカーの中で僕は思った。だとしたらあのポッターとウェンディーの演技はあまりにも見事だ。すばらしい俳優になれる。その詐欺師に対して、僕は自分の身の上を明かし、意気揚々と写真まで見せたということか。僕は今まで旅先でさまざまな犯罪に会ってきた。強盗置き引き恐喝・ ・・そのすべてが、明らかに自分が犯罪にあっているという自覚症状、痛み、恐怖を伴っていた。けれども今回の「 茶会事件」はどこまでもグレーだ。現に僕はもてなしを受けたのだから。


1ヵ月後ウェンディーからメールが届いた。「中国の地方を回る旅から戻ってきました。素敵な写真を見せてくれてありがとう。また、お目にかかれるのを楽しみにしています」ふふふ、これでますますグレーだ。そ知らぬ顔でちょっとだけ関わってみようか・・・いや、やめておこう。


ウェンディーが何者であれ、彼女が僕の写真のことを憶えていてくれたのはなぜだか嬉しかった。


2012年4月記



今日の一枚
” マグレブ(リニアモーターカー)の窓から ” 中国・上海 2011年




fumikatz osada photographie