<< magazine top >>








イードと正月の共通点


ヨルダンの街がなんだか浮き足立っている。街道沿いの至るところで生きた羊が売られている。先端を鋭く切り落とした竹槍のようなものが売られている。最初はいつもこうなんだろうと思っていた。
しかし、売られている羊を指差しながらある人が僕に教えてくれた。「あの羊たちを何に使うかわかるかい?イードの祭りが迫っているんだよ。イードの日の早朝、礼拝のあとで家々で買っておいた羊を殺すのさ。そしてその肉を調理してまず近所の貧しい人に分け与え、残りを家族で食べるんだ」なるほど。


外国人の僕に説明するために彼らが身振り手振りで「イート(eat)、イート」と口にして羊を食うさまを説明してく れているのだと思ったら「イード・アル・アドハー」という名のイスラム世界では大きな年中行事だった。犠牲祭という意味らしい。そういえばキリスト教にも「カーニバル」というのがあった。
街角の羊たちはその運命を知ってか知らずか、一頭また一頭とトラックの荷台に乗せられて去ってゆく。ちなみに、あの竹槍は羊の頚動脈にブスリっと刺すのだそうだ。
その話を知ってしまった僕にとって、祭りの当日の早朝モスクから流れて来たアザーンは、今までで最も悲しいアザーンだった。「ああ、あの羊たちは今ごろ・・・」そう、僕はとても気が小さい。もらった羊を皆で食べるのが嫌でセネガルに行けなくなったくらいだから(笑)


とまあ、正月早々羊の殺戮シーンから入るというのも少々気が引けたのだが、祭りや文化というのは外の者から見れば大抵奇妙なものだか、そのまま受け入れてあげないといけない。あ、遅ればせながら「みなさま、新年あけましておめでとうございます」


ところでこのイードという行事、日本の正月と共通点がある。まず、羊を買出しに行くわさわさとした感じが師走の慌しさに似ている。
祭りの当日、しかも早朝に行事を行うというところがご来光を拝むのと同じように神聖な感じがする。そして、持つ人も持たざる人も腹を膨らませることができる。日本の正月もそうだ。正月ぐらいはお金のあるひともないひとも穏やかにすごし、もちを食べたいという思いが今でも皆の心にあるだろう。
早朝の行事が終わると大人も子供も真新しい洋服を着て町へ繰り出す。これも日本の正月に似ている。正月には一張羅の服を着る。昔はそういうものだった。


イードと正月。華やかな中にある凛とした空気と皆でよき日を迎えるという雰囲気が僕は好きだ。

2012年1月記



今日の一枚
” イードの日のスナップ ” ヨルダン・サルト 2010年




fumikatz osada photographie