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スタッテンアイランドフェリーとアーサーの思い出 その2


そのスタッテンアイランドフェリーのターミナルに乗下船のためのブリッジを架ける老職員がいた。船が着く度に彼の皺だらけの無骨な手がレバーを操作してブリッジの重厚な鎖を動かす。当然、職員は何人もいて時間帯や日によって変わるから、毎日お目にかかれるわけではない。けれども、フェリーのデッキからブリッジの袂に彼の姿が見えると「ああ、今日はあの人だ」と僕はなぜか安心するのだった。

老練でいぶし銀のような彼のポートレートをどうしても撮りたくて、ある日お願いしてみた。彼の名前はアーサー。ジャズが好きだそうだ。僕も無類のジャズ好きだと話したら。「私はアキヨシトシコがね。好きなんですよ」と日本人ピアニストの名前を挙げた。もしかしたら、日本人の僕に対するお世辞かもしれない。でも、アーサーはニコニコしながらそう言ったのだ。彼は意外なほどすんなり撮影を受けてくれた。勤務時間を聞いて、数日後にカメラを持って撮りに来ると約束した。


3日後の朝、僕は機材を抱えてマンハッタンのサウスフェリーターミナルを訪れた。その日彼は朝の勤務だった。突然、僕が中判カメラやストロボ、ライトスタンド、照明用の傘などをその場に広げ始めたものだから彼はびっくりしていた。こんな大げさなセットで撮影するとは思っていなかったようだ。
僕の方はというと、想像以上にアーサーの仕事が忙しかったので驚いた。本当は満員の乗客を乗せドックに入ってくる船の前で彼を撮りたかった。しかし、考えてみればそんな時間などあるわけがないのだ。なにしろ朝のラッシュアワーには10分おきに船が発着しているのだから。

結局、撮影は5分間という短い時間、かつ彼が操作レバーのところにすぐに行ける場所で行った。無事、撮影終了。素早くお礼を言うとアーサーは急いでブリッジの方に走って行く。見ると満員の乗客を乗せたフェリーがもうすぐそこまで迫っていた。さて、こちらもぐずぐずしてはいられない。早く機材を片付けないと下船してきた人の波に飲まれそうだ。


ふと振り返ると、彼はもういつもの場所でスタンバイしていた。アーサーの大きな手が今日もまた下船用ブリッジを下ろそうとしている。僕が親指を立てて彼に挨拶をすると、アーサーもこちらに向かって親指を立てた。


2006年10月記



今日の一枚
” ポートレイト ” アメリカ・ニューヨーク州・ニューヨーク 1995年




fumikatz osada photographie