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鯨浜



三日目

早起きをして昨日と同様鯨浜に向かった。いつものように漁師たちが出漁準備をしている。枕木は昨日とは別の船倉から海へと続いている。男たちが枕木の上の舟を押す。舟が入水して最後の一押をすると、男の中の一人が必ず陸に残る。「今日こそは仕留めてこいよ」と7人の侍たちを見送る、その瞬間がカッコイイ。舟は毎日2艘づつだが、浜の船倉には4、50艘が並んでいる。漁期には何艘ぐらい出るのだろうか?

陸上部隊がいくつかのグループに分かれて何やら作業を始めた。丸太の木皮を削り取っている漁師は新しい枕木を作っているのだろう。その隣では逆三角形の帆の手入れが始まった。船倉の中では別のグループが縄を編んでいる。編んだ縄を束ねて更に太い縄にする。鯨を曳航してくる縄か、それとも銛の柄につけるものか?何れにせよ男が3人がかりで力をこめて編んでいるのだから相当強度がいるのだろう。
少し離れた船倉には奇妙な形の器具が用意された。焚き木の脇に竹の筒が4本立っている。2人の漁師がその竹筒に交互に棒を挿しピストンさせる。すると、焚き火に風が送られ火力が保たれる。そこに鉄棒がくべられた。鍛冶の「ふいご」だな。やがて鉄が真っ赤に熱せられると。槌が振り下ろされ鉄棒の形を変えてゆく。何を作っているのかたずねたら。「銛の先のやじり」だと教えてくれた。
漁師たちの行動は実に面白い。まるでスケジュールが決まっているかのようにてきぱきと自分の仕事に取り掛かる。暗黙の了解ってやつか?それとも前日に作業分担を話合っているのか?


昨日の新集落に行ってみようと岬に登って行く途中で鯨浜を見下ろした。入江の岩場に上って少年たちが捕鯨の練習をしている。竹の銛を持って代わる代わる海に飛び込む。インドネシアの海は浮遊ゴミが大きな問題だが、ラマレラの海はどこまでも透きとおっていた。
新集落では例によって住民が給水所に集まっていた。大きなコンクリート製の給水タンクの蛇口をひねると綺麗な水が迸った。そういえば、宿に水道の蛇口ってあったかな?あまり記憶にない。飲み水はテーブルの上に用意されている水差しのものを飲んでいるし、シャワーやトイレはもっぱら大きな樽から柄杓ですくうスタイルだ。ということは、毎日毎日給水所から運んでいるということか。水は大切に使わなくちゃいけないな。

給水所の近くでは、家を建て直すために10人ほどの男たちが解体工事をやっていた。少なくともシーズンオフは全ての男性が捕鯨に携わっているわけではないようだ。
「よう、どっから来たんだい?日本人か。酒のむかい?」「はい、いただきます」ウィスキーのような強い酒だった。あまり飲みすぎると高いところから落ちますよ(笑)
それにしても穏やかな日だ。赤道に近いが一応南半球、ラマレラは秋から冬に向かう乾季だ。そのせいか比較的湿度が低く過ごし易い。朝晩は涼しいくらいだ。湿度80%のじめじめとした熱帯夜を想像していたが、これは良いほうに外れた。


鯨浜に帰ると子供たちの捕鯨の練習が続いていた。人数も増えて舟まで出している。銛打ちがどういう風に鯨に一撃を加えるのか話だけではイメージしにくい。しかし、未来のラマファたちの練習を見るとよくわかる。的になる浮遊物を浮べて飛び掛るように竹やりを突き刺す。飛んでる姿はカッコイイのだけれど、格好だけでは鯨に簡単に跳ね除けられるだろう。やがて水浴びの子供たちも加わって鯨浜に元気な声が響く。
暫くすると捕鯨舟が鯨浜に帰ってきた。子供たちのはしゃぎ声がさーっと引く。この村では小さな子供でも舟が帰ってくる時間を知っている。いつものように陸上部隊の漁師たちが枕木を敷き出迎える。ああ、今日も坊主でした。男たちの舟を押す足取りが重い。
子供達は再び海へ戻って遊んでいる。と、まもなく2艘目が帰ってくる。「どうせまたオケラなんだろう」と見やると子供たちが舟の周りに集まっているではないか。鯨を引っ張ってきている様子はないけど・・・

おおっ、何やら大物らしいぞ。波打ち際で獲物を下ろそうと男たちが悪戦苦闘している。舟は大きく傾いているのにそいつはびくともしない。何人かの子供は舟に飛び乗って獲物を覗き込む。鯨浜が騒然としてきた。突如、舟が最大限に傾き獲物が引きずり下ろされた。ばかでかいヒレが太陽の光にキラリと輝いた。おお、エイだ、マンタだ・・・
水族館の水槽を悠々と泳いでいたり、ダイバーのマスコットとしてのマンタは見たことがあるが、捕獲されたものをこんなに近くで見たのは初めてだ。口に牽引用のロープが括り付けられているが陸に上がったマンタはとにかく重い。2人の男がなんとか砂浜まで引き上げたが、そこからはてこでも動かない。しかたなく獲物は砂浜に置き去りにされ。一同は舟の格納作業にまわった。大人から子供までいつになく大勢の人たちが押している。マンタとは対照的に舟は枕木の上を軽々と滑っている。大物を連れて帰ると歓待されるんだな。
ふと、砂浜を見やると一人の子供が、銛の穴だらけになって息絶えたマンタを哀れみの目で眺めている。口の中を覗き込み、エラを確認し、ヒレの感触を確かめている。分かる。わかるよその気持ち。

小さな魚は、いつものように気前よく振舞われた。そしてマンタはいま男たちによって砂浜を引きずられている。何キロくらいあるんだろう?引きずられた後の砂地はすっかり平らにならされている。格好の良いエイの尾が船倉の中に引きずりこまれると、すかさず漁師がナイフを取り出した。ここで僕はこの村に来て初めて撮影を断られた。「おい、撮るんじゃねえ」「はぁども、さーせん」
ナイフがぐさりとエラの部分に突き刺さり、肉を切り分けてゆく。マンタの口からエラにかけての部分って結構スカスカなんだな。単調な解体作業だった。マグロをさばくのとはずいぶん違う。まるで大きな豆腐を切るように、肉がブロックに切り分けられていく。さてと、写真を撮れないのなら僕がここにいる必要はない。


僕がご近所さんの写真を撮っていると、マンタの切り身をバケツに入れた人が次々と浜から上がってくる。あんなに巨大なブロックをどうやって料理するのだろう。エイヒレ、ヒレ酒は聞くがマンタを食べたって話は聞いたことがない。それにしても、夕方会うラマレラの人々はみな獲れたての魚をぶら下げていてとても幸せそうだ。新集落の道路で擦れちがった少女も腰からたくさんの魚をぶら下げていた。見せて欲しいとお願いすると恥ずかしそうに見せてくれた。アスファルトの上の彼女の足は裸足だった。村では裸足で歩いている人をよく見かけた。手にはスマホ、しかし足は裸足。こういうのは実に21世紀っぽい風景だ。

夕暮れの鯨浜ではいつものように子供たちのサッカーが始まった。鯨浜はラマレラ村の「広場」なんだな。宿のある集落にも新集落にもガジュマルの木が生えた広場はあったが本当の広場は鯨浜だ。まるで時間割が決まっているかのように様々な村人が代わる代わるこの浜にやってくる。
夕方の浜は学校が終わった子供や若者たちで賑わう。小中学校は新集落にある。生徒たちは朝早くからお昼まで勉強して、各自家に帰り時間をかけて昼食をとる。午後再び学校に出かけて行き夕方遅くまで授業をする。一方、高校は集落の中にはない。高校生になると2km離れた学校まで通う。


宿に帰ろうとすると、一軒の家の前の道路にパイプ椅子が並べられていた。今晩、故人を偲ぶセレモニーがあるという。「もしかして、ママ・クララですか?」と聞くと「ああ、ここが彼女の家なんだよ。人が亡くなると以後4日間は夜このような式が開かれるんだ」初七日法要のようなものかな?と勝手に解釈した。
その晩、僕はセレモニーに行ってみた。家の前の道路はすでに人でいっぱいだった。促されてパイプ椅子に座る。やがて彼女に関するスピーチがスピーカーから流れ礼拝が行われた。
礼拝が終わって席をたとうとすると人ごみから「おい、フミ。帰っちゃうの?これから食事が出るのに」えっと誰だっけな・・・?あ、鯨の工芸品の職人さんだ。しかし、ほんの数日しか滞在していない旅人の顔と名前をよく覚えてくれてるものだ。ありがたい。 「ごめんなさい。夕食を済ませたばかりなんです」と答えると。「どうして、お茶だけでも頂いてゆけばいいのに」と肩をすくめた。
「彼女がどんな人物かを知る絶好の機会だったのに」と僕が後悔したのは、それから数日後、レンバタ島の玄関口・レウォレバの大きな教会で再びママ・クララの葬儀に出くわした時だ。かなり有名な人なのかもしれない。