<< magazine top >>










100歳だよ!と誰かが言った


「そのお爺さん100歳だから写真撮ってあげて!」
インドの街角で声を掛けられカメラを構えた。待てよ、前にも同じことを言われて写真を撮ったことがあるぞ。たしかキューバの田舎町だったな。どちらの100歳も元気だった。というわけで今回は年齢のお話。


日本人は年齢にこだわり過ぎるのかもしれない。テレビを見ていると一般人はもちろん、芸能人、スポーツ選手から果ては監督まで、名前の横に年齢が表示される。名前だけでは画面が寂しいからか、付加情報つもりなのか。
年齢を自虐ネタにするお笑い芸人がいる。なるほどネタとしては一生尽きない。飲み会で初対面の相手にいきなり「おいくつですか?」と聞く人がいる。そのあとは、あのアイドルを知ってるとか知らないとか、世代ギャップネタで盛り上がる。むむっ、なんだか不愉快。しかし、この程度でブチ切れたら了見が狭いと思われそうだな、ブルブルブル、我慢我慢。
「20代、30代が活躍する職場です」という求人広告につられて「若い連中と一緒に仕事できるのか」と40代が応募する。しかし、どうやらこれ「39歳以下限定」の求人だから、行間を読みなさいということらしい。


こうした年齢に関する偏見や固定観念は、アジアの保守的な社会では顕著だった。ベトナムもインドもイランも、だいたいこのくらいの年齢だったらこうして暮らしていなければいけないという固定観念がある。だから、そこそこの年齢で独身だというと哀れがられたり、結婚しているのに子供がいないというとなぜか慰められたりする。
お邪魔したご家庭で主人に言われる「フォッフォッフォ、どうだいうちの娘を嫁に貰ってくれんかな」「はい、お父様。でも私、おそらくお父様より歳くってますけどよろしいんですかネ?」すると「ナニッ」とお父様の目が光って・・・その後は「さっきの言葉、本気にされると洒落にならんぞ」的な空気がビシバシ伝わってくるようになる。
日本の場合もこれと似た偏見はしぶとく生き残っている。だから女性蔑視とも年齢差別ともとれるような本音が議会のヤジでポロリと出てしまうのだ。


いつまでも健康でいたい、美しくありたい、という個人の願望は世の東西を問わない。しかし、僕たちが歳を重ねるごとに憂鬱になるか、歳をとる事を楽しめるかというのはこうした年齢に対する「世間」の考え方が大きく影響しているように思う。つまり「多様性に対する寛容さがある社会か否か?」ということ。このへんがアメリカや欧州の先進国と日本の大きな違いかもしれない。20歳と60歳の学生が大学で机を並べている社会はどっちか?大学3年生になるとヨウイドン!で就職活動を始め、新卒ブランドが幅を利かせる社会はどっちか?を考えてみると良い。
人生様々で早咲きの人もいれば遅咲きの人もいる。太く短い人生もあれば細く長いのもある。様々なバックグラウンドの人が集まって社会や職場ってのは組織されるべきなのだ。だから、事務的に年齢で輪切りにされたり、同じ年齢ばかりが集まったり、若ければ若いほど良いと決め付ける社会というのはお世辞にも居心地の良いものではないんじゃないかな。


さて、ポートレイトに戻ろうか。
100歳の人と聞いて皆さんはどんな絵を頭に描くだろうか。その後でこの写真を見ると、自分がけっこういい加減な固定観念の上に乗っかってることに気づく。人間は杓子定規に年齢だけで計られるものではないのだ。という理想論を展開したあとでじゃあなぜキミはこの写真を撮ったのかと聞かれれば、「このお爺さんが100歳だからだよ」と答えるだろう(笑)



2014年8月記



今日の一枚
” 100歳だよ!と誰かが言った ” インド・ジャイサルメール 2013年




fumikatz osada photographie