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親日の幻想と浦和レッズ


「親日」という言葉をよく耳にするけれど、一体全体、他国の文化や国民にそれほど特別な好意を持つ人って本当にいるのだろうか?
テヘランには出稼ぎで日本に住んだことのある人たちが多くいた。みなフレンドリーで僕がイランの旅を楽しめるようにいろいろ気遣ってくれた。「おお、イラン人ってやはり親日家なんだ」と考える前にちょっと思い返してみる。他の国からの旅行者もみなイラン人は大変親切だと話していたではないか。多分、彼らは人や国籍を見て親切を施しているわけではないんだろうね。
例えば、目の前に病人がいたとしよう。あなたはその人の国籍を見て助けるかどうかの判断をくだすだろうか?おそらく、尋常な社会に生きる、普通の人間愛を持った人ならばそうはしないだろう。善でも悪でも人のなりを見て施しをするようならば、あなたを取り巻く社会はかなりまずい状況に陥っているのではないだろうか。例えば戦争とか。


「いやいや、親日にそんな大げさな意味はないよ」って?そうかもしれない。しかし、僕が一番気がかりなのは、軽々しく「親日」なんて言葉を使う人は、同じように軽々しく「嫌×」を口に出すのではないかというところだ。「親日」と「嫌×」には共通する間違いがある。それは、相手国の一人一人の国民も、国家同士の関係も一緒くたに語ってしまっているところだ。今の日本にはこの辺の区別がつかない一般市民はおろか、政治家やマスコミさえいるようだ。
そういえば、韓国政府の発言に対して「民度を疑う」という言葉を返した日本の大臣がいた。自分の耳を疑ったよ。「民度」なんて匿名掲示板のいわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人たちが使う言葉だと思っていたから。僕の知る限り「民度」というのはその国の国民の知的レベルとか、文化的水準とか、生活のレベルといった意味だ。日本は明らかに右傾化してるけれど、それ以上にこうした排他的、民族差別的な考えが表面化、深刻化してる。ヘイトスピーチなどもその一例だろう。


そんな中、この問題に深く根ざすような事件があった。サッカーJリーグ浦和レッズのサポーターによる「JAPANESE ONLY」横断幕事件である。斯様に書かれた横断幕が一部のサポーターによってスタンド入り口に掲げられ、他サポーターの通報にもかかわらずクラブ側はそれを試合中ずっと放置したというものだ。
なんだか凄くがっかりした。僕は紛れもない浦和のサポーターで、数えてみたら昨シーズンは8回ほどスタジアムに足を運んでいる。浦和は2007年にACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)で優勝したこともある。当時、決勝戦でエスファハンのセパハンというチームと対戦したこともあって、イランでは浦和のことをよく覚えてくれている人も結構いる。
陳腐な国の威厳をかけてぶつかる代表チームの試合より、僕は世界のどこに行ってもホーム試合にしてしまうようなチームとサポーターの直向さに心打たれる。その一方で、例えばアジアには自分たちよりも優れたサッカーをするチームがたくさんあるという現実を熟知している。浦和はクラブもサポーターもそういったユニバーサルな平衡感覚を持ち合わせていると信じていた。そこにこのニュースである。横断幕を掲げたサポーターにもがっかりしたがそれを放置したクラブ側にもっとがっかりさせられた。


けれども、前述のとおりそういう「排他的、差別的」なメッセージをスルーする空気が今の日本には蔓延している。それは例えば官房長官が自国に対する批判には過敏なまでに反応するのに、他国の人を侮辱するような多くの政治家の発言にはシラを切るのと同じだ。
この横断幕事件を受けて浦和レッズの該当サポーターの無期限入場禁止、クラブは1試合の無観客試合という厳しい制裁を受けた。けれども、隣国に対して差別的発言を繰り返した政治家は無罪放免、今日ものうのうと政治家の椅子に座っている。本来ならそこに楔を打ち込むはずのマスコミは「親日国紹介」の情報番組の裏で「嫌×」キャンペーンの片棒を担いでいる。最近ではいままで比較的冷静に外交問題を語っていた評論家さえなんとなく感情的な論調に変わってきたような気がする。それでも魚釣りの浮きは投げられたところに留まっていると信じている日本人がたくさんいる。実はかなり下流に流されているのかもしれないのに。
あるいは僕が神経質になり過ぎているだけなのか、とにかく昨今の日本の空気は窮屈この上ない。イヤなら出てゆけばいい?しかし、浦和レッズのサポーターをやめることは簡単だが、日本国民をやめることは簡単ではなさそうだ。


おしまいに、僕たち日本人は世界も人もキッチリと善と悪で分けられないことを知るべきじゃないだろうか。”多様性”というものを理解できないから、よりどころとするひとつの基準、ひとつの教科書、ひとつのマニュアルがいつも必要になる。これは「きちんとしている」ということでいわば日本の美徳とされてきた。しかし、逆に最大の欠点かもしれない。だから、悪意を持ったリーダーは多様性から生まれる議論無しで基準の方を勝手に動かしたりするんだろうネ。



2014年3月記



今日の一枚
” サッカー 2013ACLより ” 日本・埼玉スタジアム 2013年 (Flash動画)音が出ます




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