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フリー・ゾーン


「フリー・ゾーン」という映画は、ナタリー・ポートマン演じるユダヤ系アメリカ人女性が車の後部座席で泣く長い長いカットで始まる。バックには「ユダヤ人とパレスチナ人の報復の連鎖」を暗喩する呪文のようなテーマ曲が流れる。やがて彼女は車の窓を開ける。冷たく湿った空気と一緒に街の音が車内に入ってくる。それは教会の鐘の音とモスクから流れるアザーンの声だ。互いに圧し掛かりあうようなその二つの音とBGMでそこが特殊な場所、エルサレムだとわかる。
そして今、映画で聞いたあの音が丘の上に立った僕の眼下から聞こえている。夕暮れ時、教会の鐘とモスクのアザーンの声が自分の耳に入ってくる。僕は鳥肌が立つような感動を覚えた。


エルサレムは非常に濃い色を持った街だ。石で作られた迷路のような旧市街はいつも旅行者でいっぱい。路地の両側から商魂逞しい店主たちが観光客に声をかける。カトリック教徒たちの巡礼ツアーの一団が十字架を背負い歌を歌いながら通り過ぎる。兵役の若者たちのツアーが嘆きの壁で記念撮影をする。観光客を見ているだけでも飽きることはない。もちろんこの街には世界から人々をひきつけるだけの魅力がある。


紀元前1000年ダビデ王のヘブライ王国に始まり、ユダ王国、バビロニア、アレクサンドロス帝国、ローマ帝国、ウマイヤ朝、十字軍、マムルーク、オスマントルコ・・・この街は数え切れないほどの国に支配され都として栄えてきた。また、後にはユダヤ人とパレスチナ人という2つの民族対立のフロントラインにもなった。
宗教的には、かつてエルサレムの神殿が置かれたユダヤ教の聖地であり、その神殿の一部はあの「嘆きの壁」として今でも多くの信者を迎えている。一方、キリスト教にとってもここは聖地。キリストが処刑されその後復活を遂げた地であり、聖墳墓教会はキリスト教徒や観光客であふれている。さらに、神殿の丘はムハンマドが昇天した場所とされ「岩のドーム」が築かれている。つまりイスラム教の聖地でもあるわけだ。


こうして歴史をたどってみると、この街はまるで何度も修正を加えられ、厚塗りされた絵画のようだ。少し削っただけでは到底下地のキャンバスにはたどりつかない。地球上にはまだ人の歴史すら刻まれていない場所がたくさんあるのに、このエルサレムというちっちゃな点にはこんもりと絵の具が盛られている。そう考えるとなんだか不思議というか皮肉というか・・・
その厚塗りされている様は石造りの街並で人で音で匂いで感じ取ることができる。エルサレムは僕が今まで訪れた街の中で間違いなく最も魅力的な街のひとつだ。


さて、映画「フリー・ゾーン」だが、ロードムービー的なドキュメンタリー映画だった。ハンナ・ラズロ扮するユダヤ人商人が、N・ポートマン扮するユダヤ系アメリカ人を車に乗せて「フリー・ゾーン」と呼ばれるヨルダンの自由商業地区にビジネスに行く。その相手がヒアム・アッバス演じるパレスチナ人だ。
ユダヤ人、アラブ人、ユダヤ系アメリカ人、それぞれの気質と立場がしっかりと描かれているので、彼らの気質を知ってる人、この地域の情勢を多少なりとも知っている人はニヤッとできると思う。
映画の筋書きなのでこの位にしておこう。でもひとつだけ。タイトルから楽観的な結末を期待するとがっかりするかもしれない。イスラエル・パレスチナを題材にしたストーリーにハッピーエンドは無理なのだろうか・・・

2011年11月記



今日の一枚
” 嘆きの壁を見下ろす若い兵士たち ” エルサレム 2010年




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