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ブラックユーモア三題


繁忙期を過ぎ、閑散とした市場の片隅で若い羊肉売りが商売に励んでいた。その後ろにあるのはムスリムの居住区では見慣れた「ぶら下げられた羊」であるが僕はふと目を留めた。たぶん、コミカルにぶら下げられた羊肉と丸太に打ち込まれた手斧のちょっとした狂気、そして「私はなーんにもしてませんぜ」という感じの若い商人の無表情さ、その三者の対比がすごく面白かったからだと思う。



「輪廻」という作品も同じような成り立ちだ。中央に絞められた鶏、そしてその左に鶏を絞めたと思われる無骨な父親の手。隣にはその父親から生を受けた息子。しかし、息子は父親によって絞められた鶏を哀れんでいる。ああ、シュールな輪廻の世界。



そしてもうひとつ、「西瓜」という作品。バザールで2個の大きなスイカを買った男は両手にそれを抱きかかえていた。「もう一個どうだい」スイカ売りから冗談混じりに3個目のスイカを載せられ、男はついに身動きが取れなくなった。お手玉をしていたら、それがどんどんどんどん肥大化して、ついには回らなくなってしまった。そんな絵にも見える。



僕はブラックユーモアや皮肉っぽいジョークが好きだ。だから、こういう光景に出会うと自然にアンテナが反応してしまう。
ところで、いずれの作品も被写体は3つ。「3」という数は非常にバランスがとりやすく許容量が大きい。例えば3本脚のイスと4本脚のイスどちらが容易にバランスを保てるだろうか?写真の構図でも同じことが言えて。3つの被写体はどういう配置、大きさであろうともそれなりにきっちり収まってしまう。
それでいて、互いに融合することなく、離散することもなく「3」という数は永遠にクルクルと回り続ける。グー、チョキ、パーを思い出してほしい(笑)つまり、この「3」という数自体がかなりのブラックユーモアだと思う。

2010年7月記



今日の一枚
” 羊肉と手斧 ” 中国・甘粛省合作 2008年




fumikatz osada photographie