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単語カード


実は、言葉に関しては少しばかり自信があった。少なくともラテン系の言葉であれば、綴りから意味は類推できそうだし、2週間も予習をすれば簡単な会話はできるようになると思っていた。また、漢字ならば筆談があるし、英語だったらとりあえず会話ができる。けれども、それだけではダメな場所があることも僕は知っていた。例えばアラビア語の国ではおそらくすべてが混沌だろうと。

それでは、ロシア語はどちらの範疇に属するのかというと寧ろ前者だと軽んじていた。キリル文字から馴染み深いローマアルファベットへの変換さえ覚えれば単語の意味は容易に理解でき、人々とコミュニケーションがとれると思っていた。
そこで、僕はウクライナに発つ2週間前にロシア語の教科書を購入。いつものように勉強し始めたのである。ところがロシア語って思っていたよりずっと難しい。ローマ文字への変換だけでは意味のわからない単語が次々と現れる。名詞も動詞も形容詞も初めて見る単語のオンパレードだ。

例えば、僕にとって「本」という単語は「リーブル」か「リブロ」か「ブック」あたりと相場は決まっていたのだ。しかし、「クニーガ」って何だ?どこから来てるのだろう?「駅」は大概「スタツィオーネ」か「ガール」か終着駅の意味の「ターミナル」じゃないのか?「バクザル」の語源は全く見当もつかない。困った、本当に困った。もちろん、ラテン語と共通の単語もある「マガジン」はフランス語のマガザンと同じで「店」、「ドゥーシュ」は「シャワー」というように。けれども、ホテルを今風に「ホテル」と書かれればすぐに解るが、「ガスティニーツァ」と書かれた日には「あれ?何だっけ」ということになる。

最後の手段で単語カードなるものを実に25年ぶりに作った。しかし、25年前と決定的に違うのは記憶力が完全に衰えているところ。全く憶えられない。
結局、予習半ばで出発することになる。ウクライナ語の単語はロシア語より幾分英語に近い。それでも意志の伝達に僕は四苦八苦した。街角に立って看板の文字を読む「エ・ク・ス・プ・レ・ス」。気がつくとかなり大きな声で読んでいて、通りすがりの通行人が怪訝そうな顔で僕を覗き込んでゆく。確かに怪しい人物だ。

北部の町チェルニヒウのショッピングセンター。「韓国人?」見知らぬマダムが話しかけてくる。「いや、日本人です」さて僕が責任を持てるロシア語はここまでだ。その後、彼女の長ーい話が始まった。語気を強めて切々と何かを語っている。「ソビエト共産党・・・・ブレジネフ・・・・」ところどころ知ってる単語が混じる。そのあと彼女は袖を巻くって腕のあざを見せた。うーん、どうもこのマダムは非常に長い自分の歴史の話をしているようだ。僕は彼女の口元に全神経を意識を集中させた。じーっと口元を見る。30分後僕が再び口を開く。もう集中力の限界だ。「大変興味深い話でした。ありがとう」しかし本当は全然解っていない。僕が彼女との会話で知りえた情報、それは「彼女の口のまわりには髭がある」ということだけだ。ああ、悲しい。こんな悲しいことってあるだろうか。


そこから学んだのは「喋れないなら通訳を雇え」という教訓だ。今まで自分の力だけで何とかしようと思ってきた。しかし、現地の人々の生の声を聞くことができるなら通訳ぐらい安い出費ではないか。

2009年12月記



今日の一枚
”看板” ウクライナ・チェルニヒウ 2009年




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