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モニカ アコーディオン マドリード その2


目の前にパトカーが止まった。中から出てきた警官が「アナタのだね?」と手に持ったものを見せる。それは紛れもなく肩紐の切られた自分のバッグ。そして、車内を覗き込みながら「この少年がバッグを持っていたんだよ。犯人の一人に間違いないね?」と僕に尋ねる。なるほど、後部座席には一人の若者が乗せられていた。
しかし、後ろから5、6人に羽交い絞めにされて気絶しかかっている人間が、どうして犯人の顔をハッキリ憶えていられよう?僕は「・・・と思う」と答えた。すると警官は語気を強めた。「もう一度聞く。彼が犯人だね?」もし、ここでハッキリ「Si」といわなかったら若者は釈放されるだろう。すると、なんだかそういう卑劣な犯罪に対する怒りが、胸の奥からフツフツとこみ上げてきて、僕は「コイツです」とはき捨てるように言ってしまった。若者はその言葉を聞いて車の中で泣き叫ぶ。「違う。オレじゃない!」誤認逮捕だったら気の毒だが、自分をボコボコにした容疑者が目の前にひっぱり出されてきたのだ。「いや、もしかしたら彼ではないかもしれない」などとは言えない。僕は慈悲深い神様ではないのだ。なんとなく後味が悪かったが、「白昼堂々とこんな犯罪が起こる病んだ社会がいけないのだ」そう自分を納得させた。

その後、僕は市警に連れて行かれた。サイレンを鳴らしたパトカーに乗せられてマドリードの街を走るとは、なんともハードボイルドな旅になってしまったものだ。警察では調書を取られた。バッグの中の使い捨てカメラと小銭がなくなっていて、その代わりに犯行に使われた包丁が入っていた。刃渡り20センチほどの肉切り包丁で、それを見た時に初めて背筋が冷たくなった。僕はかなり抵抗していたから、ヘタをしたら刺されていたかもしれない。
「犯行に使われた包丁に間違いないね?」と今度は凶器について聞かれる。当然、それも見ていたはずがない。あの状況で凶器を冷静に観察できる目を持っているとしたら、それはかなり刺され慣れている人間だろう。「Creo que si(だと思う)」と僕が答えると警官は、「答えはSiかNoのどちらかだ。『と思う』はやめてくれ」とたしなめた。

「お、コイツかい?ナイフで頬を切られた日本人と一緒にいたのは」部屋に別の警官が入ってきた。「いや、別件だよ」と取調べの警官。聞けば、同日、別の場所で日本人が襲われ刃物で顔を切られたそうだ。当時、マドリードでは日本人を狙った「首絞め強盗」が多発していて、どうやら僕もその被害者になったようだ。その後、アルゼンチンのブエノスアイレスなどでも邦人をねらった同様の強盗が流行ったらしい。こういった特定の人種をターゲットにした犯罪は、僕が最も憎む犯罪だ。


宿に戻ってオーナーに一件を説明したらビックリしていた。無茶なことをした覚えはないが「あまり無茶な真似はしないでくれ」と言われた。犯人の一人が捕まったと聞いて、彼の若い娘たちは「よくやった!」と僕に声をかけた。気楽なものだ。
その晩、オーナーがアコーディオンの演奏を聴かせてくれた。荷物の紛失と強盗という不運続きの僕の旅を不憫に思ったのかもしれない。その演奏は「どうかマドリードを嫌いにならないでおくれ」という言葉にも思えた。


しかしその一件以来、僕が二度とマドリードを訪れることはなかった。結局、モニカともそれきりだ。そういえば、あの旅のキーパーソンはモニカだった。強盗に襲われて果たせなかったが、彼女にこの場を借りて「あの時はどうもありがとう」とお礼を言いたい。
ちなみにこの事件は僕の「トラブルのデパート」の中では上から3番目くらいだ。まだまだ上には上がある。気がめげてきそうなので、その話はまた別の機会に譲ろう。


2006年3月記



今日の一枚
”アコーディオン” スペイン・マドリード 1998年


オテル・ソボバデ その4




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