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夏の記憶


子供の頃の夏休みのことを僕は今でもハッキリと憶えている。そして、その幼い頃の体験が今の自分というものの構成要素になっているような気がする。と書くと格好良いが、つまるところ、僕の根本的な部分は小さなころから全く変わっていないということだ。


早起きして雑木林に虫を採りに行ったこと、ラジオ体操に行ったこと、テレビのアニメにかじりついたこと、プールの帰りに食べたかき氷、水銀灯の下で捕まえたカブト虫、家族で出かけた旅行。そういった夏の想い出はやがて忘れ去ってしまうものと思っていた。でも、それは違った。友達の顔も、風景も、出来事も、そして、空気のにおいさえも僕の奥底に夏の記憶として残っている。


例えば、買い物に出かける両親の車を裸足で追いかけた夏の記憶というのは、少年の心にどのように刻み込まれるのだろうか。ケープコッドで出会った『現在進行形の少年の夏』


2005年8月記



今日の一枚
”夏の記憶” アメリカ・マサチューセッツ州ハイアニス 1992年


おばあさんの私書箱




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